まみ めも

つむじまがりといわれます

和泉式部物語

日本古典文学全集〈36〉御伽草子集 (1974年)
従姉妹が古民家を買った、その元の家主は在所の村長であったとかで、家の中から文学全集がどっさり出てきたらしい。日本文学全集、海外文学全集、さらに古典文学全集。それらをそっくり譲ってもらったのを、一年近く一隅に積んであったのだが、やっと本棚に移すことにした。たまたま一番上にあった御伽草子集、筈氏がひらいたページの口語訳註をおもむろに読み上げだした。それが和泉式部物語だった。それは、和泉式部が若くして子どもを産むのだけれども、若すぎたゆえに恥ずかしさのあまり子どもを捨ててしまう、のちに再会し、我が子であることを知らぬまま契りを交わしてしまうというなかなかハードな話で、途方に暮れた。読んだだけで途方に暮れる物語、さぞや当人たちはと思うのだが、物語の顛末はというと「こは何ごとぞ、親子と知らで逢うことも、かかるうき世に住む故なり。これを菩提の種として」と、出家し、親子の契りというタブーすら悟りの足がかりとする前向き振りに感心してしまった。
それで、先に読んだ小泉八雲「ある女の日記」を思い出したのだが、それは、一介の市井の女性が婚姻やら出産やらを折々に記した日記を小泉八雲が英語に訳しまとめたものを、さらに日本語に訳しなおしたもので、不幸にも子を次々とうしなう女性が、日記においてそのかなしみを和歌に綴るくだりがあり、たとえば「楽しみもさめてはかなし春の夢」というのは子をついに三人もうしなった彼女が詠んだ和歌なのだが、この凡庸な一句にうたわれたかなしみが、その凡庸さゆえにいっそうはっとするほど切なく胸を貫く。八雲はこの日記について、「心の傷つき敗れたときにも歌をつくろうとするその心の励み」などは、日本の生活にありふれたことでありながら、心打たれる以上のことである、といっている。
親子の契りから悟りを開こうとするのはさすがにトンじゃってる感じはあるものの、ある女の日記に見るしなやかなタフさは、日本に特有のものかもしれない。絶望といってもいいような大きなかなしみにでくわしたときに、歌を詠むという行為、一見なんの生産性もないようなことが心の慰めになるってこと、あるんだろうな。かなしみに限らず、こころが大きく揺さぶられるようなイヴェントにおいて歌を詠むというのは、自分を客観視して感情を再構築できるというか、そういう効能があるような気がする。それは、文学のためでも誰かにおもいを伝えるためでもない自分のための歌となり、そういう一途さが、かえって心を打つんだろうなと思う。歌を詠むというのは、アウトプットのひとつの形で、音楽でも、絵でも、なんでもいいけれど、そういう感情を整理できるアウトプットをひとつもっているだけで、ずいぶん違うように思う。わたしにとって、それは文章なのかなあと思う。感情の起伏というのがあんまり得意ではなくて、喜怒哀楽どれもこれもあんまり大きくなると頭の中にもわもわと果てしない気がしてやりきれない。そういうのを文字にしてしまえば有限になるので、なんだこれだけかという気がしてほっとする。ダンテの神曲にだって限りがあるんだもんなあと、ナントナク合点。