まみ めも

つむじまがりといわれます

インドへ

インドへ (文春文庫 (297‐1))
ブックオフオンラインで百円。表紙をめくったら一面あざやかなピンク色に目を奪われた。芝桜に似ているが、花のことはよくわからない。芝桜は実家の庭に咲いていたせいか、実家をはなれてから好きになった。つゆくさといい、芝桜といい、苔といい、地面にはびこるものに心惹かれる。
横尾忠則インド旅行記は、仏教もヒンドゥー教もUFOもヨーガもなんでもござれ、ぜんぶおなじ鍋でぐつぐつやっているコラージュ具合がまさしく横尾忠則でおもしろい。「ぼくは、この全宇宙をまるごと飲みほすことさえ、いとも容易なことのように感じ始めた」というとおり、飲みほした全宇宙のジュースを横尾忠則の胃液とともに吐き出したみたいな世界観。旅の感じ、漂泊、そこにスピリチュアルなものも加わってふわふわと地に足がついていないようでありつつ文章は冷静にじぶんを捉えていて、UFOの話を持ち出したあとでいつもの悪い癖がでちゃったなんて反省しているところがキュート。
わたしはスピリチュアルなものを感じたことがないので、UFOだとかオーラだとか超能力だとか、ああいうものを真剣に語られると手に負えない感じがしてうすら笑いしてしまいときにいらぬ誤解をまねくのだが、手に負えないなりにそういう話は好きだ。かつて筈氏は家のそばの坂の上でUFOを目撃、南の空をピンクの発光体がサイケデリックに移動して、ちょうど坂下から上がってきた全身白ずくめでなぜかしっとり濡れている少年とあれはUFOですかねと会話をかわしたらしいのだが、その話を聞いたときも思わずうすら笑いが出てしまって、信じていないのかとしかられた。ひとさまのUFO体験をつかまえて信じるも信じないもないとおもうが、UFOをみて、それを真剣に語るひとたちをみるとなんだかうらやましい。わたしにはきっとUFOもオーラも幽霊も宗教も、そういうものにまつわる才能が一切ない。スピリチュアルの外側でぼんやり膝を抱えている。