まみ めも

つむじまがりといわれます

感情教育

六月の第一土曜日、実家の両親に送ってもらい浦和の自宅に戻ってきた。レンタルのステップワゴンは後部座席にチャイルドシートをふたつ、前向きと後ろ向きにそれぞれ取り付けてあった。フクちゃんは一度のサービスエリア休憩で三度脱糞、三度めには小水の噴水をあげたし、セイちゃんは有磯海のサービスエリアで海のみえる展望に用意されてあったマリアージュの鐘なんてのを鳴らしまくってトランス状態になり動かなくなった。フクちゃんは車中はほとんどねてくれるのでよかったが、セイちゃんはそういうわけにもいかず、好物のレーズンをひと粒ずつ勿体ぶって与えてごまかした。レーズンを指先につまんで目の前に近づけ、セイちゃんの手が取ろうとすると引っ込めるという遊びをやっていると、うれしいのか酔っぱらったみたいにしてぐふぐふ笑った。最後はレーズンでもきかなくなり、フクちゃんも目を覚まし、ふたりして泣き叫びながら浦和についた。
浦和での生活は、やはり、慌ただしく、保育園とイオン、病院に青物屋、定点の往き来で完結する日々。夫がはやく帰る日は、フクちゃんを抱き、セイちゃんをバギーにのせて、駅まで迎えにいく。セイちゃんは、線路わきで行き交う列車を眺めながら、トッキュー、アンカンセン(新幹線)、トーチャン、オチゴト、なんてなことを一生懸命はなしている。代わり映えしない平凡な生活の繰り返しが、わたしにとってはばら色の人生なのだという気がする。

感情教育

感情教育

中年男と少女のダイアログ形式の一冊。「教えて欲しいです。学校では教えてくれないこといっぱい。」なんて帯に書いてあって、文壇の貴公子がなにを教えてくれるんだか、どきどきさせる仕様なのだが、なかなかどうして、貴公子とはいいながらキワキワのエピソードが登場する。

(略)でも、彼女への想いは募るばかりだった。彼女が使っているのと同じシャンプーが欲しくて、店で一つ一つニオイを確かめて、ようやく探し当てた。私も同じシャンプーで髪を洗い、パジャマも洗った。そして、彼女のニオイにまみれて眠りたいと思った。その頃、私は羽毛の感触の中毒になっていて、羽根枕の中身を取り出して、いつもポケットに入れて持ち歩いていた。その羽毛にもシャンプーの香りをつけて、休み時間や放課後に一人で頬ずりしていた。そのうち、頬ずりだけじゃ物足りなくなって、首筋や膝、乳首や股間もその羽根で撫でるようになった。その羽根の感触を彼女の肌の感触だと思って。

なんて素敵な変態っぷりなんだろう。実体験だか妄想だかわからんが、これを書いたのが島田雅彦だというのがいい。かっこよくて変態だなんて、鬼に金棒。