まみ めも

つむじまがりといわれます

杏っ子

盆休みは下田行。飽きるまで温泉に浸かり、サウナにはいり、脱衣場のマッサージ器で全身をぎゅうぎゅうに揉みしだかれ、湯上りのからからに干からびた体につめたいアルカリイオン水をグーっと飲み干すと、胃袋にぐんぐんしみこむのを感じる。いつもは夕方になるとふたりの子守に慌ただしく、シャワーすらろくすっぽ落ち着いて浴びておれんかったので、ほんとうにありがたい時間だった。部屋にもどると大中小の似たような顔がひとつの布団にせせこましく昼寝しており、それを眺めながら本や新聞をぺらぺらやるのが、なんだかこころも体もじんわりと痺れるような心地よさだった。流星群がくるというので、テラスにでて空を眺めていたら、おおきいのが横切って、あちこちから歓声があがった。ビーチでは花火もぽんぽんしていた。ホテルの朝食はバイキングで、プレーンオムレツがおいしくて、毎朝ケチャップをたっぷりのせてたべた。中学の国語の教科書だったとおもうが、プレーンオムレツのでてくる話、神父さんがまがった指先でお説教をたれるあの話はなんだったっけなあと頭の片隅でめぐらしたが思い出せなかった。あの話を読んでから、わたしにはプレーンオムレツが憧れの食べ物だった。おかあさんの作るオムレツは、ピーマンや牛肉や玉ねぎがたっぷりくるまれて、鉄のフライパンでこんがり焼けめがついていたっけ。おかあさんにプレーンオムレツをやいてほしいなんてお願いするのはなんだか照れるのでできなかった。そうやってたべられなかったものを、あのときに食べなくてよかったなとおもう。とっておきにしておくというのも乙なもんだ。

杏っ子 (新潮文庫)

杏っ子 (新潮文庫)

室生犀星は、ちくま文学の森でかじったのがまるでとぼけた風でおもしろかったので、ブックオフの百円にあったのを買った。杏っ子は自伝的な小説で、自身の生い立ちから娘の離婚にいたる過程を描いている。本人は平四郎としてでてくるが、実名で芥川龍之介菊池寛堀辰雄佐藤春夫萩原朔太郎と目白押しで豪華メンバーが登場するのがうれしい。やっぱり小説でもとぼけた風で、娘が結婚するときには三日で帰ってきたっていいというし、夫婦喧嘩をすると、やれやれもっとやれと言い、別居するときには、別居はいいね、別居にかぎるな、別居したまえと言ってみたり、ちょっとうらやましくなってしまった。わたしも娘が夫婦喧嘩や別居をやるときにはとことんやれと言ってやれる親になりたい。室生犀星はそうやってとぼけているが、そのとぼけた感じはオブラートのようなもの悲しさをまとっているのがたまらない。ちょっとうそ寒い読後感。まえに生涯の垣根という短編で読んだ庭師の話がでてきたので、懐かしくなり、ちくま文学の森をひっぱりだして読み返す。犀星は、庭師の立ち小便を横からのぞいて、君のきんたまは白いね、わたしはきんたまは黒いものとばかり思っていた、と感心するんだから、犀星のきんたまは黒かったのだ。そういえば、うちのおかあさんは孫のきんたまを覗きこんで、いいきんたまだ、と褒めてくれたが、なにをもっていいきんたまと言ったんだろう、わたしも歳をくったらいいきんたまの見分けがつくようになるかしら。