まみ めも

つむじまがりといわれます

どこか遠くへ(新・ちくま文学の森)

七月いっぱいぐらいまでは暑さがたまらなく身体にこたえるが、八月にはいるとすっと暑さが軽く感じられる。蝉の鳴き声が耳につき盆休みがはじまるころには、なんだかもう夏が踵を返してあっちを向いているような、そういう風に夏の終わりにたいする嗅覚は年々するどくなっている気がする。夏は苦手だけれど、夏がおわるという予感はとても好き。

どこか遠くへ (新・ちくま文学の森)

どこか遠くへ (新・ちくま文学の森)

日本奥地紀行より(イサベラ・バード)
出発まで(山下清
日日雑記より(武田百合子
流浪の手記(深沢七郎
一日の王(尾崎喜八
秋の彷徨(辻まこと
爪哇(ジャワ)(金子光晴
豆の葉と太陽(柳田国男
五足の靴より(北原白秋ほか)
飛騨の秘密(坂口安吾
房総鼻眼鏡(内田百間
旅商人の話(ディケンズ
黒んぼの人形(オコナー)
なにかが起こった(ブッツァーティ
ウェークフィールド(ホーソーン
竹青(太宰治
心願の国(原民喜
酒の精(吉田健一
頻伽(渋澤龍彦
夏休み、スティッチの顔をかたどった丸のかばんに、こどもの洋服やら下着やらつめこんだ中にいっしょに放りこんだのは「どこか遠くへ」という一冊。九日間の休みにぴったりおさまった。幼子ふたり抱えてそうそう遠くへも行ってられんが、なかにはまだまだそちらに行くつもりはございませんという遠くもあって、遠くといっても、物理的なもんからきもち的なもんから、さまざまだった。深沢七郎の、自伝的な内容のものらしいが、中学生かなんかとキスしたあとで、盛り上がっちゃって、「ニ、サンニチぐらい、きょうと、あしたと、あさってぐらいまで、好きになってるらしいけど、いいかい?」なんて相手の女の子に言っちゃうのが小学生レベルに正直すぎて笑える。百間先生は安定感のあるおもしろさ、ダザイは言わなきゃいいのにという地雷をすべて踏みしめてくれる鬱陶しさで読んでいるこっちがぼろぼろになってしまう、絶対つきあいたくないタイプの男だと再確認。吉田健一、延々と禅問答のような文章が続いて読むうちに読んでいることの意味がどんどんうしなわれていく。オコナーは目の当てられないとことん愚かしくみっともない話のはてにポッと神様があらわれる、わたしは神様のことはよくわからんが、オコナーは神様のことを、ものすごーく、とことんにかんがえた人なんだということはわかるわ。宿六氏が澁澤龍彦を読んでおもしろかったというので、澁澤龍彦のペニスケースだけつけたいかれたポートレート画像を検索してみせてやった。澁澤龍彦は、なんというか、ちょっとずれていてくすぐられるところがある。もてたんだろうなと思う。