まみ めも

つむじまがりといわれます

流星ひとつ

夜は、毎日揺籠のうた。繭のようにやわらかなことばにうっとりしながら、布団にくるまれる。となりにいるこどものぬくもり。カナリヤの鮮やかな黄色、枇杷の実のうぶげ、木鼠のまるいしっぽ、淡色のムーン、ぜんぶのことばにやわらかさがほどよく詰まっていて、口ずさむと、カナリア枇杷とりすと月のまるさに心がなぞられる。北原白秋は、ものすごいやさしい気持ちでこのうたをつくったにちがいない。まるいフォルムの歌。

揺籃のうたを カナリヤが歌うよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

揺籃のうえに 枇杷びわ)の実が揺れるよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

揺籃のつなを 木ねずみが揺するよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

揺籃のゆめに 黄色い月がかかるよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

流星ひとつ

流星ひとつ

お正月、鎌倉の山の上の家で、納戸にある本、読んでいいよと義母がいうので、覗かせてもらう。沢木耕太郎なんて意外だなと思いながら借りてきたのを、ひらいてみる。読んでいくうち、藤圭子が若いとき、いったん引退を決意したころのインタビューなのだとわかった。ウォッカトニックを飲みながら(ぜんぶで八杯)、沢木耕太郎との会話だけで綴られている。わたしは藤圭子のことはよく知らなかったが、とても平凡で、繊細で、的確なことばを使う人なんだなと感じた。そして、なにを話していても、裏側にさみしさが宿っている。
「あたしは、家で御飯と漬物を食べるのがいちばん好きだし、親子丼とかカツ丼とか、御飯の上に何かがのっかっている簡単なものが好物だし、服だって、セーターとシャツとズボンがあれば、それでいいし……」
「涙って、しばらく泣かないと、眼の裏にたまって、泣きたくなるんじゃないかなあ」
「違う名前を持つというのは、そんなに生やさしいことじゃないんだよね。生まれ変わるみたいに大変なことなんだと思う」
藤圭子のおかあさんは瞽女だったらしいが、藤圭子がうまれた頃には薄ぼんやりと視力もあったらしく、
「あたしにオッパイを飲ませるために胸に抱いていた、その赤ん坊のあたしの横顔と、そのときのねんねこの柄だけは、よく覚えているんだって。そのときの純ちゃんは、ほんとに可愛かったよって、いつも言うんだ……」
このおかあさんの気持ち、その話を何度もきいている「純ちゃん」の気持ちをおもうと、胸がつぶれそう。まぶたの裏に、こどもたちの寝顔を思い浮かべて、しんとなった。