まみ めも

つむじまがりといわれます

けい子ちゃんのゆかた

久しぶりで風邪をひいた。金曜あたりから喉に違和感を覚えていたのが、日曜に微熱となり、内臓が飛び出しそうな咳が続くので月曜はいったん休み、ほどなく過ごしていたが、夕方こどもの帰るまえに済ませておこうと風呂に入ったのがいけなかった。湯舟のなかで、出たくないな、でも出ないとどんどん体力が奪われてしまうな、という気持ちがせめぎ合いだし、ぎりぎりのところで湯を出たが、がたがた全身を怖気が襲い、ヒートテック二枚、フリース二枚にさらに上着、スパッツにジャージを重ねばきしたうえに靴下をはいて、毛布と布団を四枚重ねたなかに潜り込んだがちっともぬくまらない。ぬくまらないのでウトウトもできない。まんじりともしないで布団にくるまっていたら、ひっそりした家の孤独がつのってきて、涙がじわじわする。六時をすぎたころ早上がりした宿六が子どもを連れて帰ってきて、PL薬をくれたのを、飲んだら、やっとウトウトして、気づいたら今度は熱に浮かされていた。りんごジュースやポカリスエットを、宿六が布団に運んでくれるまますすり、夜中におしっこ一回、明け方になってやっと熱はさがり、こどもと一緒に起き出したが、お休みは一日中巣篭もりで、よくもこんなに眠れるもんだと感心するぐらいほとんど寝て過ごした。きょうはやっとのことで出社したものの、今度はフクちゃんが熱を出し、保育園から電話が鳴り、わたしも階段を二階分あがったら動悸とめまいがする有様で、急ぎの仕事を片付けて早じまい。

けい子ちゃんのゆかた (新潮文庫)

けい子ちゃんのゆかた (新潮文庫)

お正月の初詣で、鶴岡八幡宮の混雑に辟易して鳥居だけはくぐって帰ってきたのだったが、その帰り道の古本屋の軒先で100円で売っていた文庫を義父が買ってくれた。33歳のお年玉。お馴染みの晩年の老夫婦シリーズを、あと先なく読んでいく。あと先ないのに似たようなエピソードが螺旋のように繰り返される。お店で「いつもの。」と頼んだことはないが、庄野潤三は、「いつもの。」を確実に用意して待っている。けい子ちゃんのゆかた、とタイトルにある通り、冒頭、おまつりに着ていくけい子ちゃんのゆかたの寸法があわないのでなおして欲しい、リミットは夕方、というミッションがこんちゃんを襲うので、いつもの晩年シリーズにない事件がぼっ発、と思ってどきどきし、事なくゆかたでおまつりに行けたので、よかった、もう安心、と思ったら、今度は庄野潤三が道端で転んで流血したので、まさか庄野潤三の本で血が流れるとは思わず、不意をつかれた。そのふたつだけが、穏やかな水面に波紋を及ぼしただけで、あとはあわあわとしたうつくしい日常がページをうめていた。