まみ めも

つむじまがりといわれます

夜あけのさよなら

とにかく眠たい日が続く。土曜から日曜にかけて、こどもたちと一緒に9時にふとんに入り、本当は起きてみたいDVDがあったけれど、ふとんの中でこどもに挟まれてぬくいので気持ちよくてそのまま寝てしまい、朝は8時すぎまで起きなかった。そのくせ昼寝もしっかり二時間とって、そして夜はやっぱりこどもたちと寝てしまう。休みの日の半分を寝て過ごしてしまった。それなのに月曜の午後は眠たくてねむたくて、少しウトウトしてしまった。仕事と家事にほんの少しの相撲がエッセンスになって暮らしができあがっている。それはそれで悪くない。

夜あけのさよなら

夜あけのさよなら

ジョゼと虎と魚たちを小説で読んでみたら、思いの外よかった。映画のジョゼ虎は、妻夫木くん演じる恒夫が男のありがちなへたれっぷりをさらけていて、恒夫が泣くシーンは、本当にだめでしょうもなくて情けなくて、それがよかった。小説のジョゼ虎では恒夫は泣かなかったけれど、映画の中のくすんだような青っぽい色合いなのにほのかにあたたかくしみてくる同じものがあって、それで、ほかの田辺聖子の小説を読みたくなって、図書館の本棚から引っ張り出してきた。夜あけのさよならは恋とも愛とも呼べないようなあわあわとした思いを描いた小説で、若い女の子の揺らぐ心情をここまで描けるのはやっぱり女じゃないとできないのかなと思ってしまう。主人公が、ほかの女を好きな男はまぬけに見える、というのだけれど、それなんかまさしく女の実感だと思う。つけたすとしたら、自分を好きだという男もまぬけに見えることのほうが多い。まぬけでないと恋なんかできない。

こっちが惚れてしまっちゃ、美しくなるどころか、だんだん、ぶさいくになり、モタモタし、陰々滅々、たすからない。

恋する女はきれいさ、なんて幻想で、本気で惚れたらまぬけでぶさいくでしんどいことをわたしはよーく知っている。