まみ めも

つむじまがりといわれます

星に願いを

木曜、晴れが続く。あかずきんちゃん号を見送ったあとは家のなかで朝刊と本を読んで過ごす。おかあさんはカレーをつくっている。午後2時半に図書館まで車で送ってもらい、読みさしの本を窓ぎわのソファで読み終えて、カウンターに返却、あたらしく借りる本を2冊選び、閲覧コーナーで手紙を一通書く。エアコンがはいっていないので、じわっと暑さがきて、手の汗で便箋が波うった。帰り道、ドラッグストアでキャンディふた袋。曽我部恵一をききながら歩いていたら小学校帰りの従兄弟の子に出くわして途中まで一緒に帰る。えっちらおっちら歩きのわたしにつきあって、ラグビーの話をたくさん聞かせてくれて、家の前にきたら、じゃ、と軽快に駆けていった。夕方、サンの散歩。夕飯は豚肉のカレーライス。セイちゃんもフクちゃんもお替りをした。
図書館に行くたび、この本を入院の荷物にいれてもっていくのかな、なんてそわそわときめくのだけれど、今度はどうなるだろう。
きみは赤ちゃん 川上未映子(これまで探していたエッセイの棚とは別の書架にあった)
ぼくのいつか見た部屋 安西水丸

星に願いを

星に願いを

フクちゃんをうんだときは、夜中に破水をして、陣痛がきたり遠くへいったり、昼過ぎまではぼんやりした時間を過ごした。そのときに読んでいたのが庄野潤三の「せきれい」で、家族のあわあわとした、でもしあわせとしかいいようのないフォルムのものを読んで、からだの中に穏やかさがはいってくる感じがあって、今回ももし庄野潤三が読めるなら、とおもっていたら、里帰り先の図書館の書架に庄野潤三が並んでいたので、ここぞとばかりに借りた。一緒に借りた川上未映子を読み終えて「星に願いを」のページをめくるときの胸の高鳴り。
「ハーモニカ(三月十日)。」
に始まり、
「浜木綿咲く(二十二日)。」
で閉じる2005年の記録。相変わらずの螺旋の日々、その取り返しのつかない美しい儚さがとことんもったいなくて、じんわりと読む。季節はめぐり、山の家の庭にもわが家の2015年初夏の庭と同じくみやこわすれとすみだの花火が咲いている。そして陣痛はこないまま骨盤はいまにも分解しそうにゆるんでいる。