まみ めも

つむじまがりといわれます

富士日記 (上)

土曜日。ひる前は風が強く吹き降りだったが、午後は降ったりやんだり。10時に図書館に送ってもらい、絵本8冊、懲りずに庄野潤三1冊。4時までこどもたちと留守番。お昼は肉まん、素麺、野菜、食後に山田屋の饅頭。葛粉と牛乳と砂糖を煮て、ゼリーをつくったけれど、葛粉の分量が足りず流動状になってしまった。ジャムやきな粉をかけて啜るように食べた。おかあさんの帰宅後、買い物がてら外食。ポポという店で、お好み焼のミックス玉2枚、焼きそばのダブル、たこ焼きを10個。帰宅してお風呂につかり、こどもたちは9時過ぎ就寝。なんとなくくたびれて、日付が変わるか変わらないかのうちに寝た。
予定日が近づき、しばらく前から毎日のようにウィキペディアで当日誕生日の有名人をみたりしているが、メッシもガウディも豊ノ島横尾忠則佐野洋子も通過した。あしたはサン・テグジュペリ

武田百合子全作品 (1) 富士日記 (上)

武田百合子全作品 (1) 富士日記 (上)

図書館までひとりでぶらぶら散歩したときに、のんびりと書架を物色して、ふとみつけた富士日記。いつか読もうとおもいながら、結局読んでいなかった、そのいつかが今のような気がして借りる。武田百合子は「ことばの食卓」「遊覧日記」とあとはアンソロジーでいくつか読んだことがあったけれど、読んでいくうちに百合子さんの性質がすこしずつ展けていくようでおもしろい。クソばばあ、といわれて、クソは誰でもすらあ、と悪態ついたり、とんでもないお母さんだけどなんか憎めない。毎日の買い物や食事がいちいち書いてあるのがなんといってもうれしい。いつか富士日記のある1日のちょっとした食卓を再現してみたい。ちょっと驚くのは、富士日記(上)の一時期に次々と大物作家が亡くなっていて、梅崎春生(昭和40年7月19日)、江戸川乱歩(昭和40年7月28日)、谷崎潤一郎(昭和40年7月30日)、高見順(昭和40年8月17日)と、死神が猛威をふるった夏。