まみ めも

つむじまがりといわれます

おらおらでひとりいぐも

日曜、こどもらと床屋へ。道すがら、ぼうず頭にするのしないのと話していたけれど、みんなぼうずにしたらびっくりするね、のひと言でふたりとも丸刈りにすることになった。9ミリ。刈られていくさまを見ながら、なかなかよい頭のかたちであることに満足する。フーちゃんとお店の前の自販機であったかいミルクティーを買って半分こした。フーちゃんが、散髪のおわったおにいちゃん、お店の家の姉弟とおりこうさんで遊んでくれたので、こちらもぼさぼさの頭をととのえてお顔剃りをしてもらった。散髪後、顔にあたる風があたらしい。丸刈りの頭はどんなふうに風を感じるのだろう。

おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞

おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞

義父本。

「この先一人でどやって暮らす。こまったぁどうすんべぇ」 捨てた故郷、疎遠な息子と娘、亡き夫への愛。震えるような悲しみの果てに、74歳の桃子さんが辿り着いた、圧倒的自由と賑やかな孤独とは。『文藝』掲載を単行本化。

歯痛でごはんも途端においしくなくなり、アイスクリームとナロンエースロキソニンと保冷剤でしのいでいる。痛みがはじまってから五日間でやっと少しずつ腫れがおさまり片側のスヌーピークレしんかという頬のフォルムが元に戻って来た。痛みを味わうのはつらいけれど、痛いときにはどこかしらこの痛みは自分だけのものだというような自負がある。痛みや苦しみのときにしかそういう気持ちは生まれない。よろこびや多幸感といったもののときにはひとさまのものを借りているような気持ちがちょびっと混じる。痛みや苦しみを受容するためのこころの働きなのかもしれない。痛みをうしなったら、なにも残らないかもしれない。桃子さんもたったひとつの痛みや苦しみを持ち、どこまでもひとりで、でもつながっていくものもある。障子の向こうにすけるような明るさがある。