まみ めも

つむじまがりといわれます

妻の超然

先週の日曜、春の雪がやんだ午後に時間をもらって、ぐずぐずの雪を踏んで近くのロイホに行ってきた。四人のこどもたちに平日ずっと付き合うのはなかなか胆力のいることで、とにかくここを出てひとりになりたかった。いつも混み合っているロイホも、人がまばらでソーシャルディスタンスがたっぷりあってほっとする。今柊二のことを思いながらホットファッジサンデーにドリンクバーを頼み、コーヒーとココアを啜りながら村上春樹を読む。アンダーグラウンド。本の中も非常事態でやばさがひしひしと迫ってくる。90分を過ごしたあとの帰り道、雪はほとんどとけていた。

玄関先の桜が散って、緑が萌えてきた。夕暮れどき、家の外壁に桜のシルエットがうつる。当たり前だけど、シルエットの桜も咲いている。

妻の超然

妻の超然

 

ト。

妻たるものが超然としていなければ、世の中に超然という言葉など要らないのだ。痛快かつ深遠な異色3部作。表題作ほか「下戸の超然」「作家の超然」を収録。
妻の超然 p5-75
下戸の超然 p77-151
作家の超然 p153-

 タイトルに惹かれて久しぶりの絲山秋子。ばっさばっさとものすごい勢いでまくしたてる。

「楽しかったのだろうか。楽しそうにしていただけだろうか。思い出せない。本当に楽しかったことなんてすぐに忘れてしまう。バカだったなと思うことは一生忘れない。」

楽しかったことばかり覚えているのも、きっとつらいもんだよ、絲山さん。