まみ めも

つむじまがりといわれます

兄の終い

夏の名残の暑さに辟易しながらべとべとになって会社について着替えをすませペットボトルの冷えた水をごくりと飲んだところでポケットのiPhoneがぶるぶるし、園からの電話でげんちゃんの熱のしらせだった。始業即呼出。あしたまでにすませたい仕事があったのでやどにお迎えを頼み、昼までわたわたと実験。結果はまずまずの80点といったところ。家についてから会社にもっていったハムとうりのサンドイッチと氷を浮かべたアイスカフェオレでおそ昼。げんちゃん、コンコンと咳が出て熱もあがる。冷房のきいた部屋でだらだらと過ごす。機嫌よくしてくれているのが救いだけれど、暑いのか寒いのかもわかってやれないのでもどかしい。

兄の終い

兄の終い

 

ト。

警察署からの電話で兄の死を知った。周りに迷惑ばかりかける人だった。体を壊し、職を失い、貧困から這いあがることなく死んだ兄を弔うために、元妻、息子、妹である私が集まり…。怒り、泣き、ちょっと笑った5日間の実話。

家族というのはどうしたってややこしくなるのだな。終いといっても残された人間はなにかがおしまいになるわけではなく、おしまいのあとをどんな形であれ引き継いでいくのだなと改めて思う。