まみ めも

つむじまがりといわれます

ニッポン清貧旅行

ニッポン清貧旅行 (文春文庫)
朝は六時に起きる。このごろは空気がひしひしと冷たい。寝るまえに蒲団の上に脱ぎ散らかしたフリースとウールの靴下を、アイフォーンの液晶で照らしながら見つけ出し身につけて階下におりる。炒め物やサラダをタッパーウエアに詰め、おにぎりをふたつ握って簡単に弁当をこさえ、りんごやバナナを剥いてから息子を起こしラジオを鳴らす。息子は蒲団の内ですっかり発熱体と化して、抱きあげるとぽかぽかするのでいつまでも抱えてたいが、そうもいかんので下におろすと決まって愚図りだす。それをなだめながら全身にヒルドイドを塗りたくり、フルーツとヨーグルトとパンで朝ごはんを食べさせる。保育園に送って駅にでて大宮の京浜東北線のホームで筈氏と別れる。それからイヤフォンを耳にはめて音楽を聞く。会社まで、ストロークスのアルバムでちょうど一枚分の長さだということを最近発見した。乗り換えのシャトルを待つ列にならんで本をひらく。通勤のかばんにいれるのは軽さ重視で文庫本に決めている。
東海林さだおを読んでいたときは、家に余していた海苔でおにぎりを巻いていたので、本をかばんから取り出すときに海苔のにおいがぷうんときた。いかにも東海林さだお的だと思っていたら、解説の中島らも東海林さだおはエッセイ界のごはんだというようなことを書いていた。世の中には三度の飯より白米を愛するという類のひとがいて、チャーハンをおかずに白米をたべるというエピソードであった。その人にどうしてかを尋ねたら、白米が好きだからですわと答えたというのがふるっている。人が心底すきなものに対して語ることばというのは、ちょっとした内容でもピュアで愛があっていいなあとおもう。かくいうわたしも米が好きなので、得意料理はなんですかときかれたときに白米ですと答えるのだが、きいた側はおおかた困惑した表情をするので愉快。知り合いにおんなに得意料理をきいて値踏みしてみているような人がいて、煮物は点数が高いだのなんだのいってたが、わたしはその土俵には永久にあがるまいとおもう。プライスレス。