まみ めも

つむじまがりといわれます

奪われた人生

げんちゃんのお迎えをしていたら中学校から電話がかかり、せいちゃんが盛大にこけて痛がっているというのでとりあえずそのなりで中学校にいく。保健室で応急処置をされて、いつ病院にいくか、どうやって病院にいくか、やっている病院はどこか、とやっているうちに病院の受付が次々に終わっていき、やっと一件だけ七時まで受け入れてくれるところがみつかった。このところ頻尿のげんちゃんは保健室にいるあいだに三回トイレにいった。財布もなにももたなかったので、家にもどり保険証と財布をもち、風呂をわかし、残りのこどもたちに留守をまかせて病院へ自転車で向かう。せいちゃんは顧問の先生に付き添ってもらいタクシーで先に病院いり。手首と足首と肘が痛むというのでそれぞれレントゲンを撮り、無愛想な先生が左手首の骨折を告げた。遅くなったので、夜はハムをのせたインスタントラーメン。次の日は歩いて学校までいくせいちゃんのために重たい鞄を学校に届け、午後は授業参観があり、24時間で学校を三往復。

翌朝会社にいってみたら午後になって保育園から電話がかかり、げんちゃんの頻尿がひどくまともに部屋で過ごしていないという。はやめにあがって駅に向かうところで小学校から電話があり今度はふみちゃんが学校で泣いてしまったとの連絡。お迎えにいくとげんちゃんはトイレから離れられずにぽたぽたと泣いており、だっこでなんとか連れて帰ったけれど家でも五分おきくらいでトイレにいく。次の朝に小児科にいき、心因性のものだろうけれどもあした尿検査をしようというので保育園は休みになり、昼はふたりで回転寿司にいった。店でもひとつつまんではトイレにいくので埒があかない。そのあとの買い物もままならずいく先々のトイレを踏破している。

そんな一週間だったけれどふくちゃんがお誕生日で、十二歳になった。夜はかつ丼

卜。

1991年6月のあの運命の日から、いかに私の人生が変わったか…。11歳で誘拐、18年間監禁され、2人の娘をもうけさせられた女性の数奇にして戦慄、全米を涙に包んだ感動の手記。

奪われたけれど自分の人生をあきらめなかった。こんな人生もあるのだという驚きに満ちていた。