まみ めも

つむじまがりといわれます

土を喰ふ日々

七夕が近いので、保育園で短冊をもらった。願いごとを書いてもってきて笹に括れという。帰り道で、セイちゃんに、願いごとはなにがいいかきいてみる。去年は、おむすびたべたい、だったよ、と話すと、食いしん坊のスイッチが入ってしまい、いちごのドーナツ!ケーキ!とだんだんに盛り上がり、往来で叫びだした。仕事をおえて駅にむかう土方の兄ちゃんに、坊主まえみて歩けよーと笑われる。食べものじゃなくてもいいんだよ、と言ってみたが、ヤダ、たべものがいい、と返されてしまった。短冊には、おすし、いちごのドーナツ、ケーキ、やきとりと食べものが羅列されて、お品書きのようになっちゃった。フクちゃんはなにかな、ときくと、セイちゃんが、大きくなりたいよーというので、大きくなりたい、と書く。フクちゃんにも、フクちゃんはなに?ときくと、アンパン!とさけんだので、アンパンマン、とその下に書いといた。あした、笹にぶら下げにいこう。

向田邦子との対談でこの本のことがでていて、読んでみたかった。図書館で借りる。ここにもひじきと油揚げの煮物がでてきた。吉行淳之介も、庄野潤三も、水上勉も、ひじきと油揚げだ。これはやらんわけにはいかん気になって、ひじきと油揚げをじくじくと煮た。水上勉がいうようにはからりと煮上がらず、すこし汁けがあったが、しみじみおいしかった。すり鉢はないが、白和えもつくった。胡麻豆腐をつくったり、気の遠くなるような丁寧なお菜がたくさんのっていたが、一番ゼイタクだなあと思ったのは、寺の境内かなんかで、焚火でやいた芋にバターをのっけて食べつつ酒をくぴりくぴり、そのうちに日が暮れてきて、和尚さんが、そろそろ撞きましょうかって声をかけて、鐘をゴーンとならす、その話がなんともよかった。鐘のあのゴーンという振動数で体においしさがしみいってくるようなエピソードだ。あとは、毎日白米だけの弁当をもって、山のものを採ってお菜にしていた大工の父親の話、山椒を煮た壺を大事にかかえて、煮汁をまぶしたごはんを毎日まいにち食べていた祖母の話、どれもどこかに涙の味に似た苦さを味わった。