木曜の夕方までこんこんと寝ていたセイちゃんだったが、夜になってようやく熱がさがり、金曜には平熱になったのでよかった。病み上がりなので金曜も休みを取りのんびりと過ごすことにした。夕方、フクちゃんのお迎えはいつもより一時間早くし、熱のあるうちはセイちゃんをおぶって、帰りは体重制限ぎりぎりのベビーカーにすわらせわたしのマフラーをぐるぐる体に巻きつけていたが、金曜は少し歩かせてみたら、やっぱり本調子ではないのだろう、すぐにくたびれてしゃがみこんでしまうので、ところどころおぶってやった。帰りはふたりで手をつないで柿や桜の落ち葉を拾いながら帰ってきた。仕事帰りには日が落ちてしまうので知らなかったが、三角公園の桜の葉が、緑と黄色と茶と赤色がモザイクになってなんともいえないやわらかな色合いをしている。日のあるうちに家について、こどもらと大相撲中継をみて、セイちゃんの今場所の贔屓は稀勢の里なので、一緒になって応援した。
- 作者: 中野孝次
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1990/04/01
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実家では、ミニのダックスフンド、顔が茶と白のツートンになった雑種、三毛猫、チンチラと、ツートン犬に似た配色の犬、ダックス以外はすべて捨てられていたのを飼っていて、いまはチンチラのふーちゃんとツートン二代目のサンというのがいる。他のはみんな家で死んだが、ちょうどわたしが実家に帰る数日前に息を引き取ったりして、火葬にも間に合わずどの亡骸にも会っていない。それでも、おかあさんが、死んだばかりのぬくみのある犬や猫をだいて、泣きながら電話をかけてきた頼りなさ、その死を思うと、申し訳ないような、かわいそうというような、なんともいえないさみしさがこみ上げる。わたしは犬や猫とわかりあえたとは思わないが、からだをすり寄せて甘えてくる仕草に、わかりあえない隙間を埋めようとする一途なものを感じて、たまらなくいとしかった。結局、こどもとも似たようなもんで、わかりあえることはないだろうが、お互いに一途にやっていくしかないのかもしれない。
中野孝次のガン日記というのもたしかあって、こちらもつらさが約束されたタイトルのような気がするが、読んでみたい。