まみ めも

つむじまがりといわれます

恋はきまぐれ(新・ちくま文学の森)

恋はきまぐれ (新・ちくま文学の森)
わすれなぐさ(ウイルヘルム・アレント)/ダフニスとクロエー(ロンゴス)/あいびき(堀辰夫)/襖(志賀直哉)/雪解(横光利一)/お客さん(コールドウエル)/サン・ピエールの百合(デイラン・ラニアン)/アルルの女(ドーデ)/隣りの女(タゴール)/犬を連れた奥さん(チエーホフ)/紙玉(アンダスン)/鶴八鶴次郎(川口松太郎)/掌の恋(和田芳恵)/みだれ髪抄(与謝野晶子)/志賀寺上人の恋(三島由紀夫)/サロメ(ワイルド)
春の陽光がうらうらとするものだから、本棚からえらびとった一冊。サニーデイサービスを流しながらドーナツショップでぺらぺらと行きつ戻りつ読む。ようやくひとりの時間にも馴染んできて本の文字が意味を帯びて染み込んでくるようになった。桜があわや満開という日の昼下がりの北浦和公園にはわらわらと人出があって、あいているベンチを探し出して腰掛けた、そのとなりのベンチでは、埃っぽい中年の男の人がうす汚れた鞄を枕に文庫に読み耽っていたので、のぞいたら、表紙に悪霊のふた文字。やや、ドストエフスキー。なんの勝負かわからんが、負けたとおもった。ひとり角力を挑んで土俵入りで足をひっかけてすっ転んで華麗に自滅。いやいや、負けるが勝ちさと負け惜しみしつつ頁をすすめていくうちに凄まじい恋のふちがぱっくりと口をあけて待ち受けていた。ふわふわした神話の恋にはじまった一冊は、志賀寺上人、つづいてサロメをよみ終えると、もともとよくわからないものであった恋がいよいよわからなくなった。ひとつだけたしかなことは、不可能性が恋を完成するということかもしれない。本物の恋をしたかったら、けっしてかなわない死人やアイドルや二次元のそれに恋すればよい。成就すると、恋はそばから蒸発してしまう。わたしもかつてはかなわない恋に憂き身をやつしたけれども、どういういきさつかその恋は成就し、わたしのもとからにげていってしまった。その相手はというと、毎朝となりの蒲団で鼻血をにじませている。