まみ めも

つむじまがりといわれます

ドキュメント家族

ドキュメント 家族 (ちくま文庫)
このところテレビをほとんど見ない。日曜日のザ・ノンフィクションだけは録画してもらったのを見るが、それ以外にはほとんどテレビをつけずにラジオを流し放している。だから、楽しんごという人が、巷では人気がでたらしいのを、たのしんごなのからくしんごなのか、いまだ判然としないが、それも実際はどうでもいいと思っている。いっぽうで昨日解禁になったコールドプレイの新曲はラジオでもう何度も聞いた。別にラジオが特別おもしろいというのでもない。あ、でも、としの初めにカーラジオできいた、NHKの俳句の番組はよかった。筆圧の高い年賀状がきみから届く的な内容の句があった。テレビも、見たら見たでおもしろいとは思うけれども、見たあとでなにを見たのか思い出せないで時間を派手に空費したようなむなしさがあってだんだんと見なくなった。貧乏性だなあ。ザ・ノンフィクションが好きなのは、大衆と呼んで差し支えないような人たちを題材にするからだと思う。「ウェディングベルがきこえない」という回では、東大卒三十路、どこかしらひっつめた髪型に昭和むささを漂わせる雰囲気の女性が、年収650万以上の男性を求めてお見合いを繰り返すがうまくいかない。「アイドルすかんぴん」の回は、オタクっぽい肌に疲れの見える26歳が、実家を豪邸にしたいと泣きながら夢を語った。こういう痛々しいのを眺めながら、わたしは、単におもしろいなあという以上のことはあんまり思わない。
このドキュメント家族という本も、単身赴任のはての自殺だったり、風俗嬢、アル中の妻、出版が1994年なので内容は古いには古いけれども、いろんな人が出てきておもしろかったが、作者の鎌田慧というひとの問題意識が高いので、いかんせん暗く、未来に希望をもてるような内容でない。そんな希望のない未来の2011年に通勤途上でつり革にぶらさがりつつ読んだものだから、通勤の電車から飛び出してなにもかも投げ出してしまいたくなるような、そんな一冊だった。通勤にはむかない。今度はノーテンキな本が読みたくなって、マン盆栽の文庫をかばんにいれた。