まみ めも

つむじまがりといわれます

こどもの風景(新・ちくま文学の森)

こどもの風景 (新・ちくま文学の森)
小曲二章(佐藤春夫)/波より(ヴァージニア・ウルフ)/少年たち(チェーホフ)/ある小さな物語(モルナール)/少女(ウンセット)/行列(夏目漱石)/牛乳(武田百合子)/ずぼんぼ(幸田文)/お栄という幼児(森銑三)/英語教師の日記から 抄(小泉八雲)/蔦の門(岡本かの子)/孫とおばば(中野重治)/胡桃割り(永井龍男)/小さな逃亡者(タゴール)/対応(ジョイス)/力づく(W・C・ウィリアムズ)/一日の期待(ヘミングウェイ)/思い出より(太宰治)/人の顔(夢野久作)/小羊(ソログープ)/赤い酋長の身代金(O・ヘンリー)/小さな王国谷崎潤一郎)/ミリアム(カポーティ)/少年探偵団(安野光雅
先日おもむいた美容院のホームページをのぞいてみたらば、各美容師のスタイリスト歴や趣味、得意分野などご丁寧なプロフィールがのっている。なんの気なしに担当してもらった美容師氏のプロフィールをチェックしてみたところが「得意分野:モテ・愛され」と記載されているのを見つけてしまい、もんどり打って蒲団に倒れこんでしまいたいような、そんな気持ち。わたしの人生が、モテや愛されというキーワードとまじわってしまったことがなんだか世間様に顔向けならんような申し訳なさで非常に居心地が悪い。ぶっちゃけ、モテや愛されというものに敬意とも敵意ともつかぬあこがれめいたおもいはかんじるけれども、わたしはけっしてそのモテや愛されとやらとはまじわることのない、ねじれた人生をえらんできたのだった。鏡を見ると、そこにうつるのはモテとも愛されとも世界を異にするこけし頭の冴えない三十路。そういやバナナマンに似ているといわれたばっかりだ。
「こどもの風景」はベッドで読み終えた。息子のねている隣のシングル半分のスペースでぺらぺらと本を読んでわたしの一日はおわる。疲れていると本を開かないまま寝ることもある。でも、やっぱり数ページでも本を読めるとうれしい。こどもの風景、かわいくってにやにやするのもあれば、無邪気な残酷さにびびるのもある。ふと、一歳になってやっとはいはいを始めた息子を真似て床に這いつくばってまわりを眺めてみる。いま、語彙をほとんどもたない中で、彼はどんなふうに頭のなかでこの世界を叙述するんだろうなあと想像してみたけれどわかるはずもない。ことばを覚えていくというのは、豊かになるようでもあるけれど、そのことばは意味にとらわれて不自由になるような気もするし、アーと声をあげてニュアンスでなにかを伝えようとする息子をみていると、ことばの本質はそのアーの響きのなかにあるのかなあとおもう。わたしは彼よりたくさん単語をもっているはずだけれど、ことばを知れば知るほど、ことばを使えば使うほど、的確なことばというものがじぶんの意味するところから逃げていくような気がする。じぶんのことばよりも本のなかのことばのほうが、ぴったりと心情にはまることがあって、そういうときのフワーとした気持ちがたまらなくて、わたしはやっぱり本が好きだなあとおもう。