まみ めも

つむじまがりといわれます

雁 (新潮文庫)
土曜日は息子をおいて一日でかけるので朝からとり肉を大蒜しょうゆハーブでじゅうじゅう炒めたところへりんご玉ねぎセロリーをミキサーでがーっとまわしたのを流し込み、じゃがいも人参を刻み、くつくつやってカレーを鍋いっぱいにした。わたしのカレーは行き当たりばったり、とり肉もムネ肉でやったり骨つきでやったり、野菜も冷蔵庫のものを手当り次第投入するので味が毎度ちがう。カレーのすごいところはどんなふうに作ってもちゃあんとカレーになるところで、何日か食べたあとで野菜を足したり、ドリアにしたり、なんとでもなるのでカレーはえらい。何年かまえ、おかあさんが食パンにカレーを塗りつけてカレーパンの味がすると感動していたのを思い出した。うちのおかあさんの才能はこちらがびくとも思わないようなことに感動することで、あるとき、朝に犬の散歩をしていたら甲虫が道を這っていたので拾い上げた、手には犬のリードと始末袋をもっていて甲虫を摘まんでいるわけにいかんと、棒切れをみつけてきてそれに捕まらせたところ、甲虫は棒切れを下から上にはい上がる、そうしたら棒切れをくるっとひっくり返すとまた下から上にはい上がる、何回か繰り返したところでブーンととんでってしまった。それを、散歩から帰ってから滔々と話してきかせていう、おかあさんびっくりしちゃった、甲虫ってとぶんやねえ。知らんかったのときくと、知ってたけど、本当にとぶと思わなかったと言った。チャーミングなおかあさん。
オーガイを読むのははじめてだと思う。この本も表題をかりと読むやらがんと読むやらわからないがどっちでもいい。オーガイはとっつきにくいのかと思っていたが、男女のあわあわした恋心を描いて、そのうえ決定的なことが起こらないというのが気に入った。溺れる者たちでは、あのときあの公園で彼女に出会わなければという、小田和正のラヴソングみたいなことをいっていたが、雁では、あの日の夕餉の菜が鯖の味噌煮でなければとなる。公園での出会いも鯖の味噌煮も等しく人の運命に寄与する可能性はあるだろうが、わたしは鯖の味噌煮でなんにも起こらない話のほうがしっくりした。そんなにいろんなことが襲っていたらやってられん。