まみ めも

つむじまがりといわれます

カメラ

カメラ
トゥーサンの本が、あるときブックオフの¥105単行本コーナーにならんでいて、そのときは「ためらい」を読んでそのニヒリズムっぷりにやられたと思ったあとだったので勢いづいて浴室ムッシューカメラの三冊を一気に買い求めてしまった。それで、浴室を読んでみたら、ためらいのときのようなまぬけな感じがなく、とげとげしたところが際立ってすこし気持ちが擦り減ってしまい、しばらくトゥーサンは手にとらなかったが、本棚のストックが減ってきたのもあってカメラを通勤の携帯本にした。

普段はこれといって何も起こらない、いたって穏やかな暮らしの流れの中で、たまたまある時、二つの事がほぼ同時にぼくの身近に起こったのだけれども、ただしそれらの出来事は、個々に考えてみるととりわけどうということのないもので、かといって一緒にして考えてみても、残念ながらそのあいだには何のつながりも認められないのだった。

冒頭からしてまさしくトゥーサンしていてあきれてしまったが、読んでみたらすこしおもしろかった。パスカルというねむたげな女に恋するところがいいなあ。主人公はやっぱりのらくらしていらっとする男だが、パスカルが魅力的だったので救われた。ねむそうな、でもって実際ねてばっかりいる女、けだるくていいとおもう。わたしは顔がねむたげな割には寝るのがへたくそなので余計にそう思うのかもしれん。
ためらいもそうだったが、杉田比呂美というひとのイラストが表紙に使われていて、余白のひろさと、すこし居心地をわるくさせる人物の配置、キャラクターの抜け落ちた穴のような人物像が、すごくトゥーサンの世界にぴったりする。ためらいの表紙では男があかんぼうを抱き上げていて、息子がそれをみてトーチャンといっていた。たしかにトーチャン氏は杉田比呂美的なあっさりした顔立ちで、出会った当初はあまり会ってもらえなかったこともあってなかなか顔を覚えられなかった。すきな男の顔を思い出せないというのは悶々とするもので、待ち合わせのときには今度こそ顔がわからなかったらどうしようとおもってどきどきした。いまはすっかり顔を覚えてしまったし、写真なんかも携帯しているのでなんの心配もないが、あのころのあやうい感じはそれはそれで懐かしい。