まみ めも

つむじまがりといわれます

風と共に去りぬ

風と共に去りぬ [DVD] FRT-100産休にはいるのに休みをためていてもしょうがないので少しずつ有給休暇をつぶしている。休みをとるときは決まって駅前でドーナツとミルクティ、本をぺらぺらやってからシネコンにいく。先週は午前十時の映画祭がリカバリー上映をやっていて、風と共に去りぬの週だった。例のごとくどんな映画であるか知らない。シネコンについたらもう席が半分以上売れていた。通路に近い席をとってもらって入ると、推定五十代のおばさんが大半をしめていて、なかには持参した握り飯を頬張って海苔の香りをぷんぷん発散しているのもある。半分おもしろがっているが半分はげんなりする。インターミッションの六分間におばさんはトイレに我先と小走りする。そのはじらいのなさと、泣いて鼻をズルズルいわしてる感受性が同居しているのが、いかにも生々しいのですこし滅入ってしまう。映画のストーリーはふるき時代のあたらしい女性の生きざまという内容で、そのあたらしい女性像がすでに時代おくれしているのでわたしにはぴんとこなかった。いかにもなヤサ男に恋い焦がれ、「ぼくは君の勇気を愛してる」なんて、いかにもなあしらいを受けているにも関わらず、あとからわたしを愛してるっていったじゃないなんて言い出すので、心底面倒くさい女だなあと思ってしまった。まわりのおばさん連がやたらずびずびやるので余計にしらけてしまった。でも、GONE WITH THE WINDの題字が右から左に流れて、風に吹かれているのはよかった。
きのうはテレビをつけたら伊藤真がでていた。大学にいたころに、当時は伊藤真の塾にかよっていたのだったか、筈氏を五月祭にさそったときに、伊藤真が講演をやっていたので聞きにいった。サスペンダーと黄色いネクタイはお定まりらしい。たしか憲法九条についての話だったとおもうが、途中でペンはないかと筈氏にきかれ、そのとき持っていたのは眉毛をかく鉛筆だけだったのでそれを渡したら配られたプリントの隙間にそばにいるひとの似顔絵をやりだした。その眉毛の鉛筆は、十八のときにもうお化粧しないとねと従姉妹とふたりして買ったものだが、だいぶちびたものの殆んど化粧をやらないのでいまだにうちにある。一生使いきれないかもしれない。そのあと伊藤真はしまいまで聞かないで外にでて、マン盆栽の顔抜きの立看板のまえで一生のお願いと頼まれて写真を撮られたりしたのだが、鳳凰というなまえの得体のしれないフィルムカメラを使いこなせなかったとみえて、現像にだした写真のその部分は写真屋ではじかれてしまいてもとに残っていない。