まみ めも

つむじまがりといわれます

アンネの日記

アンネの日記―完全版
ふとしたときに読む本がないというのを考えてみるだけでお尻がむずむず落ちつかないので、どこにいくにも鞄には一冊本をいれておく。会社の机のひきだし、風呂場のわきにも一冊ずつ。実家の本棚は家族各人の本が雑多にあって、指輪物語が文庫でそろっていたり、茶道や草木のハウツー本があったり、康成漱石、お嫁にいって困らないお料理、などなど、読みたい未読本が殆どないというのもあるが、その中途半端なばらけ具合にいらいらするのであんまりのぞかないようにしている。嫁に行って困らないお料理というのだけは時代錯誤なタイトルがかえっておもしろくてひらいてみたが、夫婦喧嘩のあとの仲直りと銘打ったレシピに「彼はあなたも食べてしまいたくなるほど、いとしく思うでしょう」と注釈があったり、なかにはオイルサーディンをグリルで焼いてみるだけのレシピがのっていたりするのでなかなか面白かった。いずれにしても実家に帰ると読書難民になってしまう。それで、実家に送る荷物にここのところの有給休暇で買いつけたブックオフの¥105本をギューギュー押し込んでやった。アンネの日記は会社で昼休みに読んでいた続き。昼休みに電気が消されて薄暗いなかでPCのモニターのあかりを借りて読んだっけ。こちらも灯火官制中よ、キティー
安野光雅氏の絵につられて買ったこの本は完全版といって周囲への痛烈な批判(とくに母親)や性への関心の部分ものこしてある。思春期の早熟したガールにありがちなとげとげした起伏、「だれもわたしを理解してくれない」という自惚れにちかい絶望感は、わたしもそれを多いにやった人間であるので、ちくりと胸に刺さった。一介の凡庸な中年になってみればいずれも他愛ないことなんであるが、思春期まっただなかにある身にとっては思春期は永遠につづくもんだった。そしてスマップに歌ってもらわなくても自分はどうしようもなくオンリーワンでだれにも分かりようがないとおもっていた。へたこいたらナンバーワンかつオンリーワンと思っていたかもしれんくらいの自惚れがあったと思う。顔にひとつできたニキビが死んでしまいたいぐらいの脅威的な悩みであったのが、じつはひと様から見たらたいして気にならない代物であるような具合で、ふと気づいたら誰の顔にもニキビなんてあるのにそれはちっとも視界にはいらないぐらいに鏡のなかの自分に溺れていた。あれは一介の凡庸にすぎる思春期だった。アンネの日記の一番のすばらしさは、そんなありきたりのリアルな思春期を記録していることで、ホロコーストという特異な環境のもとにひとつひとつ凡庸な人生があったというのは、まったく途方に暮れるしかない話だとおもう。