まみ めも

つむじまがりといわれます

手紙読本

手紙読本 (ランダムハウス講談社文庫)
活字中毒のアンソロジーで読んだ江國滋がよかったので、ブックオフオンラインで検索、在庫があるなかで一番安いのが手紙読本だった。150円。豪華なラインナップで文豪の手紙を読めてしまう一冊。胸をうたれるものから情けないみっともないものまであってとことん面白い。なかでも名文は小泉信三が息子の出征にあたってしたためた手紙。以下抜粋。

君の出征に臨んで言って置く。吾々両親は、完全に君に満足し、君をわが子とすることを何よりの誇りとしている。僕は若し生れ替って妻を択べといわれたら、幾度でも君のお母様を択ぶ。同様に、若しもわが子を択ぶということが出来るものなら、吾々二人は必ず君を択ぶ。人の子として両親にこう言わせるより以上の孝行はない。君はなお父母に孝養を尽したいと思っているかも知れないが、吾々夫婦は、今日までの二十四年の間に、凡そ人の親として享け得る限りの幸福は既に享けた。親に対し、妹に対し、なお仕残したことがあると思ってはならぬ。今日特にこのことを君に言って置く。(以下略)

わたしも、かつて貰ったいろいろの手紙をひとつの函におさめて未練たらしくとっておいてあったが、三十路を迎えたころに思い切って全部すてた。すててよかったと思う。手紙にまつわる思い出といえば、浦和でふたり暮らしをしてはじめて迎えた正月のこと。ポストからとってきた年賀状の束を、一枚ずつ、これは誰から、これは彼から、と披歴してもらっていたのだったが、ある一枚になってピタリととまり、これは君は見ないほうがよいな、といって隠してしまった。否応なしにぴんときて、なにが書いてあるのかときいたがなにも特段のことは書いてないという。特段のことがないのならばなにもいわずにみせればよかったものをと思ったらむかむかしてしまい、しかも、その特段のことがない手紙を殊勝らしく机の抽斗に隠したのでいよいよ腹立たしい。その夜は、夢のなかの啓示でその年賀状にしるしてあったことがすべて閃いてしまい、特段のことが書いてあったものだから、翌朝、起きたなりで、わたしはあの年賀状をみたよ、こうこう書いてあったよ、みせないということはあれが真実なのだと言い募ったら呆れた顔をしていた。くだんの年賀状を、もう捨ててしまったと本人はいっているが、男のことだから後生大事にしまっているのではないかという気もする。わたしがこれまで人に宛てた手紙のあれこれ、誰になにを書いたか覚えもないが、ぜんぶ回収して破り捨てたい思い。