まみ めも

つむじまがりといわれます

思い出トランプ

思い出トランプ (新潮文庫)

思い出トランプ (新潮文庫)

月曜の朝は、新聞の一面、見出しをみたおかあさんが、日食はなんじ、ときくので、記事の本文に目を通す。もう十分もしたら一番えぐれる時間になるよといって東に面した張り出しの廊下にでた。障子に投射した木漏れ日が三日月のかたちになっていて、切り落とした爪みたい。なにかの話で、好きな男だったか、わが子だったかの、切った爪を小瓶に溜めて眺める女のことがあったのを思い出した。ふと見るとおかあさんは裸眼で太陽を直視しているので、いけないよと咎めたが、老い先みじかいわたしの眼なんかどうなったって平気ハハハなんていってちっとも意に介さないでいた。
向田邦子の小説ははじめて読んだ。生活感のありすぎる世界。悪阻のときに、世の中のにおいというにおいが総てリアリティをもって生身にずっしりうったえかけてきた感覚に似ている。さざえの壺焼きを爪楊枝で引きぬいたときに、先端部がずるりと出てきたときのよろこびとも嫌悪ともつきかねる気持ち。あの部分はなんだろうと、ふと今気になったので、調べたら、生殖腺だというんだからぎくりとした。生殖腺を引きずり出してよろこんでいたなんて、それこそ向田邦子が小説のなかで使いそうな話かもしれん。