まみ めも

つむじまがりといわれます

千曲川のスケッチ

千曲川のスケッチ (岩波文庫)

千曲川のスケッチ (岩波文庫)

井の頭線の車内だったとおもうが、つり革につかまって立ったわたしの斜め前にすわるひとが、一心に手を動かしている。のぞきこんだら、向かいに掛けるひとをスケッチブックにデッサンしていた。各駅停車のひと駅の区間のあいだに描き終えると、ページをめくって、またあたらしいモデルをみつくろって描き出す。迷いなく、的確に、輪郭をかたどっていくので、すっかり感心した。髪の毛なんて、何万本もあるのを、するするっと滑るように簡単にひいたラインが、ちゃんとスケッチブックの平面のなかで何万本の量感も質感ももっている。おもしろいなあ、と眺めていたらあっというまに降車駅。
島崎藤村千曲川のスケッチは、文字による小諸の風景や人びとのスケッチ。井の頭線での力強いコンテのラフ・スケッチに対してこちらは鉛筆で丁寧に繊細に描きとったスケッチという印象。車窓をながめているように文字の上をこころがうつろっていく。フクちゃんを胸の上にのせて、ソファにねそべって、毛布をかぶり、フクちゃんの背中のうえで文庫本をひらいて読んでいたら、小諸の情景がきれぎれの雲になって浮かんでは消え、空をながめる心地よさでうとうとする。読んだそばから忘れてしまう贅沢。ときどき、胸の上のぬくもりが、くつくつと笑い出してみたり、渋面をつくってみたり、おならをこいたり、する。千曲川のスケッチにも母子の情景。なんでもない暮らしの一途さ、そのなんでもない暮らしをじっと見つめてかきとっていく藤村の視線もまたいじらしい。

手甲をはめ、浅黄の襷を掛け、腕をあらわにして、働いている女もあった。草土手の上に寝かされた乳呑児が、急に眼を覚まして泣出すと、若い母は鍬を置いて、その児の方へ駆けて来た。そして、畠中で、大きな乳房の垂下った懐をさぐらせた。私は無心な絵を見る心地がして、しばらくそこに立って、この母子の方を眺めていた。