まみ めも

つむじまがりといわれます

数学ガール ゲーデルの不完全性定理

こないだ、皮膚科にいった帰り道、ふだん立ち寄らないスーパーマーケットをぶらついたらパイナップルが安かったので、ぶらさげて帰った。まな板に、まるのままのパイナップルを載せると、気持ちにすこし張り合いがでる。はっぱをストンと落として、立てたまま皮を削いでいく。花の跡がぽちぽちと並んでいるのを包丁をいれて切り取りながら、たしかパイナップルのこれの並びがフィボナッチ数列ではなかったかと思い出して数えてみたが、三次元に斜めに配しているもんだからよくわからんかった。割り切れない気持ちで硬い芯をぽりぽりと噛んだら、ベロの先の傷がパイナップルのプロテアーゼのせいかしくしくとしみた。

数学ガール/ゲーデルの不完全性定理 (数学ガールシリーズ 3)

数学ガール/ゲーデルの不完全性定理 (数学ガールシリーズ 3)

義父の本棚からもってきたうちの一冊。数学ガールというタイトル、出だしはなぞなぞのようなものからはじまるので気軽に読み出したが、副題にもあるとおりゲーデルのうんちゃらかんちゃらをやり出すものだから、途中で匙を投げた。数学は才能で、わたしは高校生ぐらいの数学はなんとなくでやれたが、感覚的にしかこなさなかったので、どーしたって限界があって、とてもゲーデルなんかはやれたもんではない。そういう無力感を味わうのは、実はちょっとした爽快感があり、気分としては青汁のテレビコマーシャルで白鵬関に片腕で簡単にもちあげられてしまうこどものような感じ。わらってしまう。ちょうどABC予想の望月先生がニュースになっていたが、あちらもさっぱりわからず、こんなわけのわからないことが満載の世の中は、素敵だなあと思う。それがわかるひともおるし、さっぱりのひともおる。そんでもってさっぱりのわたしは、それがわかりたいとも思わない。それをわかるよりはなんの役にも立たない小説でも読んでいたい。
一年ほどまえ、セイちゃんが風邪をこじらせて町医者から紹介状をもらって総合病院にいくタクシーで、空気のよめない運転手が、男手一つで育てた息子の自慢をやらかしだし、しんそこ辟易したのだが、そのおじさんの教育論とやらでは、数字を教えるときには、イチニサンシと教えるべきで、イチニサンヨンと教えてはいけない、なぜなら九九をやるときにはニシがハチ、シシジューロク、とヨンではなくシでやるから、こどもが混乱しちゃうでしょというので、あほらしと思ったんだった。こどもなんていくらでもつまづいたらよろしい。そんなしょーもない小石を拾ってやるようなおべんちゃらをこどもにやってどうすんのかね。世の中は理不尽の連続だよ、おじさん、と、熱でぐったりするセイちゃんを抱えておろおろしている場面で金を払ったうえで乗るタクシーの車中でくだらん話をきかされるまったくの理不尽に直面しながら思った。