まみ めも

つむじまがりといわれます

母の発達

鼻づまりがひどく、そのうち片耳がくぐもったようになり戻らなくなった。しかたがないので耳鼻科にいく。露地をはいったところにある古い木造の医院は、がたぴしした引き戸に板張りの床の待合室で、昭和から抜け出せないでいるようなレトロをまとっている。しゃっきりしたおばあちゃん先生に症状を説明すると、きこえの検査をやりますという。フクちゃんを受付のおねえさんに預け、号泣を背中で聴きながら小部屋にはいり、ヘッドフォンを装着して音にあわせてボタンを押すのだが、フクちゃんの泣き声はいよいよ高くヘッドフォンの耳にもきこえるし、部屋の外で作業する看護師さんの姿をみていれば音が鳴るタイミングはおのずと知れてしまうし、まとまらない気持ちでボタンを何度も押した。きこえにはどうやら問題なく、内耳が陰圧になって、鼻づまりが取れんことにはどうにもならん、授乳中だから薬もやれん、ということだったが、処置をしましょうと診察室の一隅を示され、パイプ椅子に腰かけ、イヤフォンをあてがいズンズンと重低音を三分ばかり聞く。鼓膜に刺激を与えるんだという。砂時計を渡されて、それがなくなるころ、ウーハーも止まった。そのあと、先生のまえに戻り、アルミトレイを顎にあてがわれ、鼻に水をいれてはかむ、というのを繰り返し、両鼻からずるずる鼻水を垂らすという屈辱的な鼻かみ指導を受け、診察はおわった。今回は薬はなかったが、薬のあるときは院内処方で薬包紙に△にたたんだものを出してくれる。診療明細も領収書も手書き。このアナログなかんじは、ちょっといい。砂時計だなんてしゃれている。

母の発達 (河出文庫―文芸コレクション)

母の発達 (河出文庫―文芸コレクション)

岸本佐知子の本で絶賛されていたのを図書館で予約。

殺しても母は死ななかった。「あ」のお母さんから「ん」のお母さんまで、分裂しながら増殖した―空前絶後の言語的実験を駆使して母性の呪縛を、世界を解体する史上無敵の爆笑おかあさんホラー。純文学に未踏の領野を拓いた傑作。

これはとんでもないわ。抱腹絶倒の母娘物語でありながら、ぞわぞわおそろしく、そしてあろうことかわが母と自分に通ずる母娘関係を見つけてしまう。誕生日にお祝いのメールを送っても、母の日にほしがっていたものをやっても、手作りのケーキしかり、毎度まいどきれいさっぱりに忘れて、手をぱちんとあわせ、「おかあさん、こんなふうに祝ってもらったことない、はじめて!」と無邪気によろこんでくれるんであるが、その悪意のなさですっぱりとやられると、紙で指を切ったときみたいに裏切られた感が容赦ない。そのファンシーなおそろしさが満ちている。表紙のSHONO☆YORIKOという必要以上に丸文字のフォントなどみるにつけ、してやられたと思ってしまう。この丸文字にもおかあさんがおる。チュニック着てるみたいな例のおかあさん。それをとことんぶちのめし、ぐちゃぐちゃにして、それでも、「子供なくとも母は母」というとことんまでおかあさんを追い詰める。笙野頼子というひとは、親に延々やしなってもらいながら小説を書いていたらしいが、その鬱屈した経緯が粘度マックスの濃密なリビドーとなって放出されており、勢いに飲まれて息ができん。