まみ めも

つむじまがりといわれます

いつか、スパゲティ

実家にきて、天気のゆるす日は昼寝のあとで母屋にいく。たんぼのなかを歩く道はセイちゃんのお気に入りで、ヨーイドン!のかけ声で走り出す。わたしも小走りになって、背中のフクちゃんが上下しておぶいひもがくい込む。夕方になると、いとこの子らが散々五々学校や保育園から帰ってくる。母屋のそばに長兄次兄が住まっていて、それぞれに三人ずつこどもがおり、賑々しい。みんなしておもちゃをひっぱり出し、おやつに手をのばし、新聞紙をまるめてチャンバラ遊びする傍でテレビのアニメが流れひな飾りのオルゴールが鳴っている。愛情や関心はこれぐらいに希釈され混じり合っているほうが居心地よいだろうなとおもう。帰り道、夕日のそばに彗星がみえるときいて振り返りながら帰ったが、みつけられなかった。自衛隊の戦闘機が音だけ響かせて姿はみえない。農道のまんなかで大の字にねそべりたいような広さ。三十三のこころもすこしは空に吸われるだろうか。

いつか、スパゲティ

いつか、スパゲティ

図書館本。ひとり芝居のイッセー尾形による、エッセイなのかと思って借りたら、短編小説だった。イッセー尾形のひとり芝居を、実はよく知らないで、「太陽」での演技と、地元のラジオ局でやっていた方言ラジオドラマを聞いた程度。小説は、ペーソス漂う滑稽なものが多く、鼻ですんと笑う、わらったあとでどんな顔をしたらよいのかわからない。

コップをテーブルに置くと「コツ」と寂しい音がするから、コップ敷きを何枚も持ってるの。布製は駄目ね。跡がつくから。薄いプラスチック。投げると手裏剣みたいにシュルシュルと飛んでいくのよ。壁に一回だけ投げた跡が残ってるわ。

こういう細部に、イッセー尾形のひとり芝居に通じるエッジがたっている感じがする。ほんもののひとり身女よりほんものの空虚さ。