まみ めも

つむじまがりといわれます

ポール・デルヴォー展 夢をめぐる旅

実家にもどった翌日、母子三人そろって熱をだした。宵越しした水曜がもっとも辛く、昼寝から起きたあとでみるみる気分をわるくし、こどもは泣きつくものだから、ぐずるフクちゃんを背中にくくりつけ、トイレで指をつっこんで胃のなかのものを出した。嘔吐のあとでずしりと疲れてしまい、こどもふたりをまつわりつかせながら、テレビの大相撲を眺めて、うつらうつら意識がとんだ。日馬富士千代大龍の妙月院スペシャルにまさかのあっさり負けをし、ぼんやりした視界のなかで座布団がとんでいた。夜はあったかい卵とじうどんを作ってもらい、ずるずる啜ったら元気が出て、昼ののこりのおにぎりも頬張り、アイスクリームをなめたらほてったからだに心地よかった。

二週間まえ、季節が急に春にむかってかじ取りし、鼻や蕾がむずむずするのと同時に気持ちまでむずむずと落ち着かず、家にじっとしていられなくなって、思い立って外にとびだしずんずん歩いてちかくの美術館の展覧会にでかけた。ポール・デルヴォー展というのを少しまえからやっている。公園の入り口に掲げられている看板はなんとなく幻想的の感じ。フクちゃんをおぶって、受付で、用紙にあれこれ記入、入会金と年会費をはらい、会員になった。なんの会員なのかはよくわからないが、美術館は入り放題、家族も四人まで入り放題で六千円だったか。オレンジ色のカードをもらい、それを提示してポール・デルヴォー展をみる。立ち止まると背中のフクちゃんが首をのばしてぐるりをきょろきょろし声をあげるので、ぎりぎりの低速で背中をあやしながら流していく。歯ぎしりがぎりぎり静かな空間に聞こえる。まわりに人がいないとき、電車だよ、と背中に声をかけると、わたしにだけやっとわかる発音でエンチャ、と真似をする。デルヴォーの作品は、年代でタッチががらりと変わり、モディリアーニのようかと思うとシャガールのようだったり、でも、ポスターになっているころの、電車やランプや女神や大理石がモティーフとなっている絵がだれにも似ていないんだからその頃がすごいのだとおもう。だれにも似ないのに懐かしいのは、電車やランプがデルヴォーにとってふるさとのイメージだからなのかもしれない。デルヴォーをみたあとで一階の廊下をあるいていたら、知った顔にでくわし、誰かとおもったらカフカで、柄澤齋というひとの作品だった。なかなか気がきいている。常設展の日和崎尊夫も、てのひらサイズの宇宙が蠢くようでよかった。
二日後、保育園帰りのセイちゃんも連れて一周した。入り口で、お子さんの手をつないでくださいと声をかけられ、ぎゅっと握る。電車の模型はだっこしてのぞきこんだ。めぐったあとはふたりしててのひらがしっとりした。