まみ めも

つむじまがりといわれます

軽薄のすすめ

きのうの夕立はすごかった。いまにも泣き出しそうに堪えている空をにらみながらの帰り道、駅をでて、みんな傘をさしてないのにほっとしながら山下達郎をきいていたら、まわりのひとたちが急に、早送りのボタンでも押したみたいに走り出すのと、大粒の雨がばらっとおちてくるのと、同時だった。街が一気に活気をおびて、びしょ濡れになった女子高生もスーツのサラリーマンもみんななかばたのしんでいるように雨に悪態をついていた。いつもの八百屋にかけこみ、いもや豆を買い込みながらどしゃ降りをやり過ごし、小止みしたところでセイちゃんとフクちゃんをピックアップしてキャーキャーいいながら家に帰り、大相撲をみてひと息ついてから物干し場をみたらぐっしょりと洗濯物が重量感を増していた。どしゃ降りはどこかしらエンタメ感も否めない。わりとすっきりした気分で洗濯物を洗濯機に戻した。

軽薄のすすめ

軽薄のすすめ

もてる小説を書いて成功した例は日本にはない。一人例外がいる。吉行淳之介だ。と言ったのは誰だったか忘れた。たしかにこの本を読むと、もてるしかない感じがする。東京大空襲のとき、文庫本数冊をレインコートのポケットにつっこんでドビュッシーピアノ曲集のレコード・アルバムと、ショパンのワルツ全曲のレコードを小脇にかかえて逃げたらしい。かと思うと、ちょっと信じられないようなサイエンス論を展開していて、たとえば、喘息の治療で、尻を切って新生児のヘソの緒を埋める手術というのがあって、なになに、拒絶反応が起り、細胞が強大なエネルギーを出す、というものらしい。でもって、細胞の中に核のようなものがあって、そのシッポがふつうの人は右へねじれているのだが、アレルギーの人はシッポが左にねじれている、とかなんとか。あーなんていんちき臭いのだろう。この臭いがすごく好きで、クンクンしてしまう。あと、向田邦子は「宇宙というのは、絶対に端があって木綿ごしのお豆腐の端っこの堅くなっているという感じがする」と名言をはなったが、吉行淳之介は、

宇宙という無辺際の空間の向うに、また別の無辺際の宇宙に似たものがあり、これを仮にア宙と名付けるとすると、ア宙のとなりにイ宙があり、そのまたとなりにわれわれの宇宙があり、またまたとなりにエ宙があり、それぞれが無辺際だと話して聞かされているときの心持ちに似ている。

と書いている。うちの宿六は、イオンから戻ってくる途中にある坂で、ピンクに光るUFOをみて、真っ白装束にぐっしょりオールバックの少年と話したというが、その話をきいたときの途方ないかんじが、わたしにとっての宇宙だったりする。