まみ めも

つむじまがりといわれます

ことばの食卓

連休の初日、田舎から母親がでてきた。おかあさんに会うと、毎度のことながら、はじめの一時間ぐらいは機関銃トークに圧倒される。三歳児が一生懸命話しかけてくるかたわらで、その事情を一切斟酌しないアラ還がまくしたてるので、耳がふたつフル稼働。じっとしていられない主婦の性分で、なにかやることはないかと迫ってくるので、安売りしていた茄子を、オランダ煮と味噌炒めにしてもらった。茄子を甘く煮て冷やしたのが好きで、昔はずるずる飲むように食べていたっけ。せっかく遊びにきたのに料理なんかさせてと思ったが、冷蔵庫におかあさん風味のものがあるのがなんだかうれしい。茄子が、なつかしいセピアの色とおかあさん味にしわしわとやわらかに染まって、冷蔵庫で休んでいる。

ことばの食卓 (ちくま文庫)

ことばの食卓 (ちくま文庫)

世界クッキーで言及されていた本を図書館で借りた。武田百合子はアンソロジーで何度かお目にかかっていたが、まとめて読むのははじめて。文章に、ものすごい静けさが宿っていて、音や声がしても、ぜんぶ水のなかで伝わってくるような遠さだった。書いていることは、なんでもないようなたべものの思い出なのに、あんまり静かなので、取り返しのつかない感じがひしひしする。その静謐を、野中ユリのコラージュが増幅し、なんだか宇宙規模でひっそりしとる。昼休みの机で、食後、飴をころころ舌のうえでころがしながら、読んでいたが、本のなかの沈黙に対抗したくなって、口のなかで飴を破壊してみたが、なんだか頼りない音がした。