まみ めも

つむじまがりといわれます

さらば冬のかもめ

連休の最終日は、地区のお祭りがあった。こども神輿がでるというので、セイちゃんも半纏を借りて、参加することにした。半纏も鉢巻きも糊がきいてぱりぱりしていて、祭り半纏などに縁はなかったくせになんとなく懐かしい気持ちがする。集合時間にいくと、湯呑の麦茶を配られたが、あんまり暑いので家にもどり、神輿がでる時間に出直すことにした。それで、神輿がでる時間にいってみると、すでに神輿は動き出して、その最後尾が通りの坂の下にみえている。フクちゃんがのったベビーカーをおして、セイちゃんと追いかけるが、なかなか追いつけない。祭りの手伝いにでていた宿六が走って戻ってきて、セイちゃんをだっこして駆けたので、なんとか神輿がひと休みしたところに合流した。縁石にしゃがんで配られたジョアを飲んでいるセイちゃんは、すでに祭りの非日常を感じとったらしく、目がきらきらしてきた。こども神輿の紐につながって、暑さにくらくらするのか、おぼつかない足元ながら、いっちょまえに笛を口にくわえて、わっしょいわっしょい歩いている。ちいさな地区のぐるりをまわるのに、三度の休憩があり、ジョアのほかに、ひとくちゼリー、かき氷をもらう。陽射しは強烈だが、木陰の風がきもちいい。おとなになってから、堂々と縁石にしゃがむことなんてなかったっけ。下から見上げる葉裏がひらめくのにあわせて、記憶の底がちらちら見え隠れする。フクちゃんがぐずるので、途中で帰ろうというと、セイちゃんは、さいごまでいく、と言い張って、宿六といっしょに最後まで神輿をひっぱり、お菓子のたくさん入った袋をかかえてうれしそうに帰ってきた。連休明け、半纏と鉢巻きを洗濯して、キーピングで糊づけしているとき、祭りのあと、としか言いようのない感じになって、新鮮だった。そして、こどもたちの人生は、わたしの人生ではないんだなというあたりまえのことが、なんだかすこしさみしい。

宿六のライブラリからひとつ選んで、こどもたちが寝た週末の夜、ビールを飲みながら見た。ジャック・ニコルソンは、イージー☆ライダーとカッコーとシャイニングをみたが、どれをみても、なにを考えているのかわからない演技をする。ダイナマイトの導火線ぎりぎりのところに火を近づけて、点火すれば自分もイチコロなのに、それをとことんたのしんでいるらしい。かもめでは、たいしたことが起こりそうで起こらないが、その起こりそうという予感のぎりぎり感を演出するのは、やっぱりジャック・ニコルソンの演技によるところが大きい。