まみ めも

つむじまがりといわれます

abさんご

庭の植え込みのイタリアンパセリは、たいして水もやらんのに元気に茂っていたが、梅雨明けごろにあおむしが見つかって、みるみるうちに数が殖えて、食い尽くされ、いまは太い茎を残して、まるはげになってしまった。あおむしは、鮮やかなグリーンと、黒のしま模様に、オレンジが点々と宿って、じっと見ているとさむさむしてくるようだが、なんだか目が離せないで、葉を食んでいるのを眺めていたら、脛を蚊に刺されまくった。どこで蛹になって孵化するのかしらないが、キアゲハの幼虫であるらしく、庭や遊歩道でキアゲハをみかけると、うちで育った虫かもしれないと少しうれしい気持ち。それにしても、一度数えてみたら、大小とりまぜて20匹をくだらないので、いやになってもう数える気がしない。一体なん匹巣立ったのだろう。蛹は一度もみなかった。蛹のなかは、どろどろの液体だと、なにで聞いたのか、夢でもみたのか、そんな気がしているが、本当かどうかよくわからないし、確かめようともあまり思わない。どろどろの液体という認識がちょうど良い匙加減の謎めき。

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義父の紙袋のなかに、あるだろうなと思っていたら、やっぱりあった。実は図書館で予約しておいたが、300人近い先約がはいっており途方ない感じだった。さっそく予約を取り消す。あえて名前を呼ばず、コラージュのようにことばを使った断片たち。名前をうしなったものたちは、イメージだけを放つ。その淡さが、記憶の彼方で光っている。わたしは、名前を呼ぶことこそいちばんの愛のことばだと思っていたが、それはことばに足をすくわれることかもしれない。