前のまえの月曜日の朝から、フクちゃんに乳をやらない。夏前に、夜だけは飲ませないようにして、朝までよく眠るようになったが、最近になって、三時ごろにぐずり、朝も五時に起きるので、仕事の最中にきまってウトウトしてしまう。思い切って全部やめることにした。朝、あいかわらず五時に目を覚ましたフクちゃんをおぶい、鏡のまえで赤のマジックペンを握り、おっぱいにアンパンマンの顔をぐるぐると描く。乳を欲しがるフクちゃんに、ほれ、と真っ赤な乳を見せてやると、ぽかんとして、指さして、アンパンマン、と言って、吸おうとは思わないらしかった。フクちゃんは、いつもは朝ごはんのあと、保育園から帰ったなり、夕ごはんのあと、甘えて縋ってやたら乳を吸っていたのだったが、帰ってからもまた赤ペンでぐるぐると描いたので、飲まなかったが、シャワーのときに、パニックして、しばらく泣いて怒っていた。いまだに、ときどきおぺーおぺーと言っておっぱいを欲しがるが、おおかた朝までねむるようになり、ごはんもよく食べる。セイちゃんのときは、ふた月かかったのだから上々だろう。おっぱいを吸っているわが子というのは形容しがたいよさがあり、一抹のさみしさはあるが、これでよかったと思う。佐野洋子が、女はおっぱいじんじん吸われてるときがしあわせの絶頂だといっていたが、しあわせの絶頂というのは実はしんどいもんで、しあわせから解放されてちょっとほっとしている。
- 作者: 阿川弘之
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2004/04/24
- メディア: 単行本
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あの、まばたきしないぎよろ眼で睨みつけられ、にこりともせずに、「私はいつもにこにこしてます」
と答えたというエピソードで笑わせてもらった。