まみ めも

つむじまがりといわれます

白鳥

フクちゃん、よく喋るようになってきた。夜、ごはんのあとはすぐに布団にいきたがって、そのくせ布団ではすぐに寝ないで、いろんな話をする。こないだ、図書館に歩いていった日は、としょかんにいったね、と言うと、ピーポーピーポー、そと!と、図書館のそばで救急車のサイレンがきこえたのがよほど印象にのこったらしく、そればっかり言っている。ピーポーピーポー、そと!そうだね、きこえたね、と相づちすると、ウン、と満足げなのだが、何度もおなじやりとりをするうちにねむたさのせいなのか言葉がおいてけぼりになり出して、ピーポーピーペー、ピッペーピッポー、となったりしてきて、うやむやしてきたところで寝てしまう。他愛ないもんだなと思う。

白鳥

白鳥

リサイクル図書の書架に、村上龍がなん冊か出ていて、エッセイらしきものと、これとで悩んで、なんとなく物語を欲しい気がして短編集にした。村上龍は読んだことがなかったけど、なんとなく、思っていた骨太な感じがあった。あとがきで、本人が、短編には洗練がいる、わたしは洗練がいやだ、というようなことを言っていて、洗練ぎらいとしては共感をおぼえた。洗練されたものが苦手なのではなく、洗練を自分から排除したいという意味だけれども、排除するまでもなく洗練とは無縁なのだった。そのくせ、年々洗練ぎらいの感じは強くなっていく。洗練されるくらいなら野暮なほうがまし。なんでもない、どこにでもある一人として平々凡々に、おでんの中の大根みたいなベージュ色の人生を生きていきたい。らしさって、何。
短編は、オドラデクのやつがいちばん好きだと思うが、あれは、洗練されとるのだろうか。