まみ めも

つむじまがりといわれます

女王陛下の007

12月の3日に3990円で買った鞄だったが、木曜の帰りに、タッパーウエアの弁当とお茶、単行本に財布に手帳、それと折りたたみの傘まで突っ込んで、最寄りの駅を出たところで肩紐がぶちっと抜けてだめになってしまった。そもそも肩の紐が細いのが難点で、どうも食い込むし体が凝るなあとおもっていた矢先だったが、いくらなんでも半月でだめになるのは早過ぎる。安物買いの銭失いとはこのことだなと思いながら、翌日は、散々に使って色が褪せてしまったアトリエペネロープの肩掛けの鞄をだしてきたが、なんとなく昔の恋人に再会したような照れくさい感じだ(実際のところは、わたしは再会したくない恋人を量産してきた女なので、照れくさいという感慨などなく、こそこそ逃げ出すと思う)。お互いにちょっとよそよそしさがあり、や、こんなだったかしらと思ったり、向こうもわたしの体を忘れてしまって少しかたくなっているぎこちなさがなんとなく楽しかったりする。しかし過去は振り返っていられない、女の恋は上書き保存、あたらしい鞄を買おうと思う。今度はちゃんと頑丈なものを選びたい。

図書館のDVDの目録を眺めて、007ならおもしろいだろうと思って借りてきたら、007を全作みている宿六が、このジェームス・ボンドはちっともかっこよくない、一作でおろされた、と言うので、いくらなんでもと思って、かっこいいに違いないと自分に言い聞かせつつ見始めたが、たしかにその通りだった。なんとなくかっこつけたのが鼻につく。性質が湿っぽいので、ロマンスをやらせるといやらしくなる。ジェームス・ボンドは、どんな女にとっても最高の男でありながら、離れたらあっという間に忘れられてしまうような爽やかな上質の軽薄さがないといかん。そして、ジェームス・ボンドがいかにかっこいいかが007シリーズの命題であるからして、この映画は残念ながらいただけない。