まみ めも

つむじまがりといわれます

ビュビュ・ド・モンパルナス

秋口からくたびれやすく、午後になるとどんどん体も気持ちも沈んできて、家に帰るとえづいたり戻したり、はたまた腹をくだしたり、夜はくったりと寝てしまう。師走になってすこしましになってきたが、あいかわらず疲れると夕方になって戻してしまう。ここにきて夜中に目がさめると胃の腑がむかむかして二時間ほどまんじりともできない日が増えてきた。ふと、逆流性食道炎というのを思いついたので、まくらの下に夏の薄掛けを丸めたのと、クッションをひとつ、いれて、背中を高くしてみたら、どうやら具合がいいらしく、朝までぐっすり眠れた。日めくりのように薄皮一枚ずつのびていく夕暮れのように、少しずつ身体も慣れるだろう。冬至をむかえて、仕事帰りに最寄駅につくと、公園のむこうの空に夕焼けがひっかかるようにして残っている。おでんを鍋いっぱいに作って食べた。

ビュビュ・ド・モンパルナス (1953年) (岩波文庫)

ビュビュ・ド・モンパルナス (1953年) (岩波文庫)

久生十蘭「虹の橋」の主人公が、店の客からモンパルナスのビュビュという本をおしつけられて読む場面がある。

 春の終りごろ、この小説の中に、君のようなひとがいる。読んでみろよと、「モンパルナスのビュビュ」という本をあさひにおしつけた。あら、そうなの。じゃ、お借りするわねといったが、読む気などはなかった。持って帰ったなりで机の下に放りこんでおいたが、風邪をひいて三日ばかり寝込んだとき、思いだしてひっぱりだしてみた。
 薄眼になって、でたらめに拾い読みをしているうちに、ベルトという若い淫売婦が、夕方、ぶらりと会堂へ入って、祈りにもならない祈りをするあたりでギックリとなった。起きなおって夢中になって読み耽り、ピエールというベルトの愛人が、「助けてくれ! みんな来てくれ、あそこで女が一人殺されかけている」と身悶えする結びの一句にうたれて、頭がぼうっとなるほど強く感動した。
 それがなんであるのか、あさひにはよくわからなかったけれども、ながいあいだ無意識にさがし求めていたもの……心のなかを吹き浄められるような、それさえあれば、足りないもののすべての補いになるといった、安心と慰めを与えてくれるなにかがあった。
 ベルトが会堂へ行って、
(神さま、ふだんのあたしを知っているひとたちは、こんなところを見たら大笑いするでしょうが、それでも、お祈りをいたします。あたしはみじめな淫売婦ですけど、まだ悪人にまでは落ちていないつもりです。あなたはあたしをごらんになって、「うむ、おさないベルト・メテニェがお祈りしているな」とおっしゃってくださるだろうと思います。)
 ベルトのあわれなようすが見えるようで、いくども読みかえして暗記してしまったが、これは、じぶんひとりの意想のなかの出来事なので、若槻などには言いもしなかった。

すぐに図書館で蔵書検索したがモンパルナスのビュビュでは出てこないで、ビュビュ・ド・モンパルナスのタイトルで見つかった。3月に読んだ「小さき町にて」のシャルル=ルイ・フィリップの作品だったので迷わず借りる。岩波文庫で翻訳は淀野隆三というところも同じ。古い書体の漢字が読みづらいけれど、痛々しく透明な光に満ちた物語だった。そこらじゅうにありふれた悲惨でぼろい話なのに、どこかしら縋りたいような切実さがあって、シャルル=ルイ・フィリップの愛が紡ぐ美しさだと思った。