まみ めも

つむじまがりといわれます

暮しの眼鏡

つめたい雨にひらひらと名残の桜が散っていた。桜が咲きだすころはなんとなく気持ちが浮つきかけるのが憂鬱だったりもするので、花びらが地面をうすく染めて、ところどころ茶色く色がうつり、どこかの石畳みたいになると、ほんのすこしほっとする自分がいる。浮き沈みが苦手なせいかもしれない。春先はどこかしらうつむき加減な気持ちで、庭のすみっこでクリスマスローズが少しくすんだ色合いでうつむいて咲いているのを見ると慰められる。毎朝、出社するあいだになんとなく気持ち悪いものがこみあげてきて、会社につくとひと気のないトイレにはいり、便器に屈みこんで朝ごはんを戻してしまう。そのときに、クリスマスローズのうつむく角度を片隅で思っていたりする。かさのあるものを食べ過ぎると気持ち悪くなるので、キャンディをなめる。花のくちづけ、というキャンディがなつかしくてよく買う。べろがすももとミルクの味に染まる。

暮しの眼鏡 (中公文庫)

暮しの眼鏡 (中公文庫)

ブックオフで108円。花森安治暮しの手帖のひとでおかっぱ頭のビジュアルというイメージで、地に足のついたものを想像していたら、なんのなんの、なかなか痛烈なアイロニーに満ちたアクの強いエッセイで、ちょっとくたびれた。批判的な姿勢というのが、歳とともにだんだん苦手になってきて、町田康的にすべてをおちょくるか、庄野潤三的にすべてを礼賛して暮らしていく姿勢のもののほうが性に合っている気がする。松浦弥太郎解説。