まみ めも

つむじまがりといわれます

ぼくの副作用

ぼくの副作用―ウディ・アレン短篇集 (1981年)
いつだったかのブックオフにはウディ・アレンの単行本が三冊ならんでいた。ウディ・アレンの映画はひとたびビデオで見たことがあって、スコルピオンの恋まじないというやつだった。いがみあう男女が催眠術にかけられて、コンスタンティノープルマダガスカルの合言葉で恋におちるというありがちな物語だけれど、ウディ・アレンの独特なセンスが光って小気味よい映画だった。そのあと一週間ぐらいは、コンスタンティノープルマダガスカルとしかつめらしくいうのが流行ったのをおぼえている。まあ、そのときにはとっくに恋はトップスピードだったわけなんだけれども。ウディ・アレンを三冊も買うのはさすがに躊躇われたので一冊だけ買ったのがぼくの副作用というタイトルで、帯にタモリがコメントを寄せていたのでそれにした。とくにタモリ信者でもないが、タモリがコメントをしているというのがなんとなく気に入った。タモリによれば、

◯最近言葉が乱れていると憂う人◯軟弱派ニューミュージックが好きな人◯地方の時代と言っている人◯叙情だの余剰だのとのたまう人◯喫茶店で人生について語り合う人◯哲学が高級だと思う人、なんぞはアレンの副作用に負けるかもしれませんぞ。

だって。文章の至るところに過剰なまでに散りばめられた毒気たっぷりのリップサーヴィスにくすくすしながら読んだが、たしかにタモリのいうように毒気に負けてしまったかもしれない。
おりしもクリスマスの昼下り、息子が夫氏の腕のなかで昼寝をしたのでテレビのスイッチをいれたら、ウディ・アレンの映画をやっていた。途中からみたので話はよくわからないが、クリスマスものであるらしく、ウディ・アレンがむかしの恋人らしき美女とパリの川辺でダンスを踊るのだったが、ふいにそのうつくしい女が重力の法則をはみだして舞い上がるのがいかにも恋しているときの地に足のつかないようなプチ・マジックめいて、なんだか心のなかにガス灯のともるようなシーンだった。わが家のクリスマスは湯葉に干物で息子は風邪っぴき、そんなわけでちっとも浮かれてなかったが、クリスマスで浮ついている街もわるくない。