まみ めも

つむじまがりといわれます

素敵な活字中毒者

素敵な活字中毒者 (集英社文庫)
活字中毒者の一日」山口瞳/「愛書人行状記」武井武雄/「本を食べる」田辺聖子/「何のために小説を読むか?」石川喬司/「書盗」内田魯庵/「J.J 氏と神田神保町を歩く」植草甚一/「冬眠日記」大岡昇平/「一九七八年(一月〜六月分)」殿山泰司/「行きつけの」井上ひさし/「大衆小説に関する思い出」鶴見俊輔/「讀書について」小林秀雄/「書痴論」紀田順一郎/「本盗人」野呂邦暢/「古書商・頑冥堂主人」開高健/「活字と僕と―年少の読者に贈る―」江戸川乱歩/「本の中へ 本の外へ」高田宏/「万引千摺り百十番」野坂昭如/「悪魔祈祷書」夢野久作/「文字食う虫について」澁澤龍彦/「いちばん熱心に読んだ本」江國滋/「もだえ苦しむ活字中毒者 地獄の味噌蔵」椎名誠 /鼎談解説:(鏡明目黒考二椎名誠
活字中毒という文字列にひかれて購買したが、わたしなんて活字の隅っこを齧っているにすぎないと思わされる内容がひしめきあっていた。田辺聖子は大事な本のカバーが擦り切れるのがもったいなくて角にマニキュアを塗っていたという乙女エピソードを告白、内田魯庵はドン・ヴィンセントという坊さん崩れの書籍商が希少本を手離したくないあまりに本を買っていった顧客を次々殺害したというようなトンデモ話を紹介、活字に溺れた話がてんこ盛り。鼎談解説に登場する目黒考二というひとは、本が読めないという理由で入社した会社を三日で退職するというのを延々繰り返した強者で、電車内など巷で見かける読書人の本まで気になるらしく、背表紙や登場人物名なんかの断片的な情報からなんの本かを探るらしいが、十年のあいだに一冊だけわからなかった本があっていまだ気がかりといっていた。やっぱりみんなひとさまの本は気になるんだなあ。読み中の本というのは、血液型や生年月日よりよほど人となりや精神状態のみえる個人情報かもしれない。
なかでも小林秀雄江國滋がよかった。小林秀雄は批評家という肩書きからしてむつかしい人を想像していたが、書き出しが「僕は、」となっていて一人称が僕しちゃってるところでほだされちゃった。でもって言ってることもかっこよろしい。

文字の数がどんなに増えようが、僕等は文字をいちいち辿り、判断し、納得し、批評さへし乍ら、書物の語るところに従つて、自力で心の一世界を再現する。(中略)読書の技術が高級になるにつれて、書物は、読者を、さういふはつきり眼の覚めた世界に連れて行く。逆にいゝ書物はいつもさういふ技術を、読者に眼覚めさせるもので、読者は、途中で度々立ち止り、自分がぼんやりしてゐないかどうか確めねばならぬ。いや、もつと頭のはつきりした時に、もう一つぺん読めと求められるだらう。(中略)はつきりと眼覚めて物事を考へるのが、人間の最上の娯楽だからである。

はつきりと眼覚めて物事を考へる、だって。わたしはひょっとしたら人間の最上の娯楽をしらないでいるのかもしれない。