把瑠都関引退のしらせを、知って、やっぱりさみしい。把瑠都の底抜けの明るい性質は、プロレスみたいな豪快でわかりやすい相撲の取り口とよく合っていて好ましかった。引退の会見で、「おすもうさんになっていいことばかりだった」と言った、その記事をネットで読んで、それがまた把瑠都らしい言葉なので、余計にさみしくなった。
- 作者: 檀ふみ,暮しの手帖書籍編集部
- 出版社/メーカー: 暮しの手帖社
- 発売日: 2008/12/01
- メディア: 単行本
- クリック: 4回
- この商品を含むブログ (16件) を見る
暮しの手帖の戦前戦後のコラムを集めたもので、タイトルにあるとおりバナナの可食部は内皮なのだとか(そういえばゲゲゲの女房ではまさしく外皮をたべる困窮エピソードがあった)、「ホップ畑のなかに雄花が咲くと、雌花が処女性を失って堕落する」(井伏鱒二)とか、ちょっとした食の雑学もたのしい。
気に留ったところを列挙しておく。
(おむすびを)上手に三角に結べるようになったとき、女らしさをひとつ身につけたようにおもったものだ 佐多稲子
白い飛び石のように、おにぎりは女の過去に散在しているのだ 幸田文
おむすびには、哀愁があります。ノスタルジアがあります サトウ・ハチロー
食べものの好みなるものも、しょせんは郷愁に過ぎない 小倉遊亀
愛情が根本になければエトセトラなどは生れてこない 草野心平
気になったレシピとしては、鈴木三重吉がやっていたという糠みそのサンドイッチ(糠みその大根をうすく切って、パンにはさんでたべるのがお好きであった)と、ビールでやる一夜漬け(あったかい御飯にビールをまぜて、その中へほそい胡瓜を一夜漬けにして、その胡瓜を冷蔵庫で冷やしてたべる)。吉村公三郎の、「ひや飯に熱い番茶をぶっかけてがさがさとかっこむお茶漬け」というのは、小学生のころの夏、半ドンで帰ってきたお昼に冷やご飯に冷たい麦茶でたべたお茶漬けに似たような感慨があると思う。結局は小倉遊亀のいうとおり郷愁に過ぎないのだが、冷や飯の麦茶漬けなんかは、愛情だかなんだか知らないが、エトセトラが芋づる式に呼び覚まされる予感がして、うっかり作って食べる気になれない。