まみ めも

つむじまがりといわれます

名短篇―新潮創刊一〇〇周年記念 通巻一二〇〇号記念 (SHINCHOムック

予定日を5日すぎたところでかつてないマタニティブルーがやってきて、きのうはしくしく泣いた。結局、この心の動揺も、つわりの続くしんどさも、腰の骨がくだけるような頼りなさも、分娩の痛みも、とことん自分だけのものでしかないというのが今さらながら身に沁みた。わたしはどこまでもこの皮膚でくぎられたわたしでしかない。しくしく泣いていたら、セイちゃんが、わたしの好きなねじり草を庭で摘んでくれた。それから、大学ノートの切れ端に顔を描いて、まわりに、やっと書けるようになった字で「おかあちゃんいつもありがとう」と書いてくれた。んゃちあかお、と右から左に書いてあり、つともとりとうが鏡文字になっている。しんどさはどこまでいってもわたしのものだけれど、セイちゃんのやさしさもまっすぐさもちゃんと心と体に伝わってくるなあとおもっていよいよ泣けた。
週明けの今朝、10年前にお母さんがお茶の先生から分けてもらったという半夏生が、10年たってはじめて花をつけた。垂れた花が揺れるのがいじらしくて、息をやさしく吹きかける。ひる前、健診にいき、あした入院することになった。

名短篇―新潮創刊一〇〇周年記念 通巻一二〇〇号記念 (SHINCHOムック)

名短篇―新潮創刊一〇〇周年記念 通巻一二〇〇号記念 (SHINCHOムック)

図書館で、4冊目の庄野潤三川本三郎「旅先でビール」を手にしてぶらぶらしていたら、ふと新潮のムック本が目に入った。ぺらぺら目次をながめて、ひとしきり悩んでから庄野潤三を書架にもどす。居間のソファにねそべって、夜の湯舟に浸かって、日本文学100年を5日で旅する。「小さき者へ」「蜜柑」「サラサーテの盤」「片腕」は再読。わたしがうまれたのは中上健次色川武大のあいだ。

この百年のあいだに、「新潮」に発表された数多い短編から、三八編を選ばせてもらった。力いっぱい、選んだ。世に知られた名品も、文学史が見過ごした秀編も、結集した。文学の美しさ、豊かさを堪能いただきたい。
名作は「自分が書いたものだ」という気持ちで読むのもいい。「うん、うまく書いた」「ここは、すごい!」などと。うれしい。興奮する。もっと読みたくなる。作者の百年は、読者の百年である。
荒川洋治

◆「身上話」森鴎外
◆「骨肉」近松秋江
◆「海岸」島崎藤村
◆「父親」荒畑寒村
◆「崖」広津和郎
◆「小さき者へ有島武郎
◆「十一月三日午后の事」志賀直哉
◆「蜜柑」芥川龍之介
◆「松林」尾崎翠
◆「寝押」中戸川吉二
◆「来訪者」正宗白鳥
◆「酔狂者の独白」葛西善蔵
◆「日曜日」宇野浩二
◆「曇り日」嘉村礒多
◆「和解」徳田秋声
◆「俗天使」太宰治
◆「仙酔島島村利正
◆「黒猫」島木健作
◆「サラサーテの盤内田百輭
◆「折れ蘆」林芙美子
◆「ひかげ咲き」川崎長太郎
◆「舌を噛み切つた女」室生犀星
◆「侵入者」梅崎春生
◆「寒暖計」椎名麟三
◆「おくま嘘歌」深沢七郎
◆「不正確な生」高見順
◆「京羽二重」谷崎潤一郎
◆「雨のなかの噴水」三島由紀夫
◆「片腕」川端康成
◆「走れトマホーク」安岡章太郎
◆「三月」中上健次
◆「雀」色川武大
◆「ベラックヮの十年」大江健三郎
◆「片冷え」河野多惠子
◆「みそっかす」三浦哲郎
◆「プロヴァンスの坑夫」小川国夫
◆「南山」瀬戸内寂聴
◆「一言主の神」町田康
◆特別対談 一○○年の「名短篇」を読む…………筒井康隆×堀江敏幸
◆名長篇──新潮が生んだ四〇作
真山青果『南小泉村』/渡辺保
有島武郎『星座』/佐川光晴
福田清人国木田独歩』/中沢けい
久保栄『火山灰地』/浅尾大輔
高見順『わが胸の底のここには』/池内紀
太宰治『斜陽』/角田光代
椎名麟三『自由の彼方で』/山城むつみ
川端康成『みずうみ』/松浦寿輝
幸田文『流れる』/梨木香歩
檀一雄『火宅の人』/豊崎由美
三島由紀夫金閣寺』/辻原登
伊藤整『氾濫』/勝又浩
中野重治『梨の花』/井口時男
室生犀星『蜜のあはれ』/蜂飼耳
川端康成眠れる美女』/玄侑宗久
武田泰淳『快楽』/川西政明
大江健三郎『遅れてきた青年』/小森陽一
北杜夫『楡家の人びと』/中村文則
井伏鱒二『黒い雨』/藤野千夜
梅崎春生『幻化』/日和聡子
三島由紀夫豊饒の海』/松本健一
小島政二郎『眼中の人』/久世光彦
・滝井孝作『俳人仲間』/長嶋有
大江健三郎『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』/沼野充義
開高健『夏の闇』/松山巖
・野上彌生子『森』/宮内淳子
安岡章太郎『流離譚』/高山文彦
・宮内寒彌『七里ヶ浜』/鈴木貞美
吉行淳之介『夕暮まで』/藤沢周
結城信一『石榴抄』/矢部登
三浦哲郎『白夜を旅する人々』/梅原稜子
宮本輝錦繍』/栗田有起
佐多稲子『夏の栞』/斎藤美奈子
宮尾登美子『春燈』/玉岡かおる
古井由吉楽天記』/大杉重男
辻邦生西行花伝』/阿木津英
村上春樹ねじまき鳥クロニクル』/福田和也
水村美苗本格小説』/古屋美登里
多和田葉子『球形時間』/野崎歓
小川洋子博士の愛した数式』/川本三郎
●新潮一〇〇年史…………………………曾根博義
●編集後記…………………………………荒川洋治