まみ めも

つむじまがりといわれます

苦海浄土

しばらく前におかあさんが熊本から手配してくれたすいかがひと玉届いた。この週末に半分に包丁を入れて冷蔵庫で冷やしおやつに食べた。暑いけれど梅雨入り前で風に爽やかさがある。すいかの皮は緑のところを薄く剥いて、半分は細切りにしてチリソースで和えてサラダにし、半分は中華味の漬物にした。すこし青くさくて夏の風味。

ト。

工場廃水の水銀が引き起こした文明の病・水俣病。この地に育った著者は、患者とその家族の苦しみを自らのものとして、壮絶かつ清冽な記録を綴った。本作は、世に出て三十数年を経たいまなお、極限状況にあっても輝きを失わない人間の尊厳を訴えてやまない。

早春の気配を聴く頃にだけ、一種鮮烈な感情が胸をよぎるのはなぜだろう。去りゆく冬と一緒に、振り返ることのできない過ぎ来しを、いっきょに断ち切るような断念と、いかなる未来か、わかりようもない心の原野に押し出されるような一瞬が、冬と春との間に訪れる。
石牟礼道子「草餅」

「草餅」の中の一節は、何度も口のなかで転がしたい、わかるようでわからないようで実感がわき出てくる名文で、そのときにいつか苦海浄土を読もうと思いつつ、水俣病という言葉のしんどさになかなか手が出せなかった。それが、最寄りの図書館の寄贈本の本棚にあったので、頂戴して、しばらく積読になっていたけれど、ようやく読んだ。新装版になる前の講談社文庫。深刻な状況と美しい描写が織り上げる壮大な記録。記録といっても「あのひとの心の中で言っていることを文字にすると、ああなるんだもの」と解説にある通り、あくまでも創作なのだけれど、石牟礼道子の操る言葉でしか辿り着けない美しい現実がひらけている。