まみ めも

つむじまがりといわれます

食卓の音楽

歯根嚢胞の治療がほそぼそと続く。痛みと腫れはもうおさまって、いまは嚢胞のなかをきれいにするために薬を定期的に入れ換えている。週末の夕方に歯医者にいったら体調不良と暑さとでどっと一日のくたびれが漏れ出てしまい診察台の上で口をあけて治療されながらウトウトしてしまった。口を閉じてはならない工程だったので、先生が口が閉まらないようにそっと手を(指を)貸してくれていた。両側の同じところの歯が歯根嚢胞になっているのは、おそらく歯の凹部のまんなかにもともととがり部があって、かみ合わせのたびに刺激になり神経がいけなくなってしまったのかもしれないということだった。

食卓の音楽 新装版

食卓の音楽 新装版

ト。

ティ・カップに内接円をなすレモン占星術をかつて信ぜず 少しさむい春の夜だからワグナーのトランペット群ぎんいろがよい はばたく言葉、みずみずしい抒情、そして自由なる詩想で綴った第1歌集。

一度だけ自分勝手がしてみたいメトロノームの五月の疲れ
ああ、もう五月はこの一句にもっていかれてしまった。通勤の電車で乗り換えの駅で降りずにそのまま折り返しで海までいったらどうなるだろう、ということをときどきは(しばしばかもしれない)考えながら一度の自分勝手はしないままでいる。杉崎恒夫は天文台勤めで、元総務部勤めの穂村弘もそんなようなことを書いていた記憶があるけれど、歌人というのは案外踏み外さないのかもしれない。歌人ではないのでいつか踏み外してしまうかもしれない。