まみ めも

つむじまがりといわれます

狸ビール

晦日の朝はすこし早く起きて寝ぼけまなこで朝ごはんをすませてから仏壇に手を合わせ、荒れる予感に満ちた北陸の天気に押し出されるように、鎌倉までやってきた。 駅のホームで、いつまでも手を振るおかあさんの小さく細い体がせつなくて、なのにどうして心配ばかりかけて親孝行ができないのだろう。山の上の家につき、夕方は極楽寺まで散歩をした。風が冷たく吹いてきて、夕焼けは赤く濃かった。あしたはお正月なので、お風呂で、いつもより念入りにこどもたちの体を洗ってやった。深いゆぶねのなかで、来年は、しぬ人がゼロ人で、うまれる人が百人いるといいね、とふくちゃんが言った。それがいいねといいながら、うまれるその百人もみんな死ぬんだよなと思わんでいいことを思って先取りで悲しくなってしまう。先取りは貯蓄だけにしておけと頭の中のFPが物申している。

狸ビール (講談社文庫)

狸ビール (講談社文庫)

 

ト。

鉄砲をもつと森の暗さや乾いた草の匂いを思い出すという英文学者の、心優しい鉄砲撃ちの24のお話。狸はビールによく合うと狸を食べ過ぎ2週間も狸の臭いが抜けずに困った話、鴨の沖撃ち、多摩丘陵の小綬鶏と河上徹太郎氏そして猟犬達の思い出など30年熟成、ユーモア+ほろ苦ビール。講談社エッセイ賞受賞。

図書館の 文庫の棚からタイトルで選んだ一冊。「ぐうたらの重ね着」をしている伊藤礼の飄々とした書きっぷり。

今年の本は、なにを読んでもさみしい苦い味がまじってしまった。心の片隅のさみしさは、ブコウスキーがポケットに入れていた死のように、食べ残したドーナツの穴のように、ずっとあり続けるのかもしれず、なんとかうまく付き合っていくしかない。