まみ めも

つむじまがりといわれます

奇想天外(新・ちくま文学の森)

奇想天外 (新・ちくま文学の森)
ジャムブリたちの住むお国(リア)/ねずみと小鳥とソーセージ(グリム)/猫の事務所(宮沢賢治)/ソナタの形式による落語(竹内浩三)/水滴(ブッツァーティ)/父の気がかり(カフカ)/卵(夢野久作)/赤い繭(安部公房)/ココァ山の話(稲垣足穂)/水蛇(カルヴィーノ)/首提灯(林家正蔵)/聊斎志異(蒲松齢)/雨ばけ(泉鏡花)/心(夏目漱石)/尽頭子(内田百間)/牡丹燈記(瞿宋吉)/鯉の巴(小田仁二郎)/女と蛇(タラションコル)/火焔つつじ(平山盧江)/コーヒー沸かし(ゴーチエ)/葬儀屋(プーシキン)/侵入者(梅崎春生)/それが誰れに分るのだ(モーパッサン)/スフィンクス(ポー)/名月(横光利一)/エッジウエア通りの横町のちいさな劇場(グレアム・グリーン)/女主人(ロアルド・ダール)/美神(三島由紀夫)/人でなしの恋(江戸川乱歩)/火星植物園(中井英夫
スピンは竹内浩三に戻す。「ソナタの形式による落語」だなんて、タイトルからしていかにも奇想天外の気味。ハテ、ソナタの形式とはと思って調べたウィキペディアによると「ソナタの形式」と「ソナタ形式」とは異なるものであるらしく、どうにも手に負えなくなってきたので考えるのはやめにした。

チャンチャンバラバラをしていると、すすきの枯野からとかげが泣いて出てきた。なぜないているのかと言うと、ててなしごをうまされましたと言う。してその子はどこにおるかとたずねたら、重箱の中をさしてあれ見てたもれと言う。見るとオランダの木靴が入っているので、あれがお前の子か、するとお前は木靴の親か。いいえ私はとかげでござんすが、あれは私の子供ですと言う。

こんな具合に始まって、この軽妙さでもって話がするするぴょんぴょんとあっちへ飛んでいってしまう。こっちは追いかけるのに必死。ちんぷんかんぷんの振幅が度を外れているものだから、疑問をさしはさむ余地がない。かと思えば

私はすべてわからなくなってしまった。(略)でも、こんなことはわからないものの初級なもので、世の中にはもっとわけのわからないことがいくらもある。人間が死ぬということが第一奇妙だし、どの人間もが自分のことだけしか考えないのは、なおさら妙な話しである。

なんて知ったようなことをいきなり言い出すのでチョットうろたえてしまう。スミマセンと小声で謝罪。物語はそ知らぬ顔で最後まで跳躍しつづけた。物語におもいっきり翻弄されるのはまったく心地がよかった。
スピンがさきいかみたいに裂けるのであれば、カフカ漱石百間ミシマにもそれぞれスピンを挟みたいぐらい、ものすごく豪華な一冊だった。