まみ めも

つむじまがりといわれます

花と言葉の詩画集〈2〉立原道造

立原道造を知ったのは、高校生のときだったと思う。わたしの使っていた部屋の作りつけの棚の中に古い詩集が一冊あった。ぺらぺらとめくると、メルヘンチックでロマンチックな世界がひろがって、思春期まっただ中の自意識は溺れてしまった。東京にでてから、おなじ本を池袋のジュンク堂で買った。結婚が決まる前から宿六のひとりで暮らす家の鍵をもらって入り浸っていたが、あるときぶらぶらと出かけた沼のある公園にヒアシンスハウスが立っていて、知らない街角で懐かしい人にであったような、ときめいたのを思い出す。詩というものがあんまり得意ではないのだけれど、立原道造のことばは口のなかで何度も反すうしたい気がする。はかない甘さがときどきひらめいて、眼前からなにもかも消えて透明なかなしみだけが残る。

図書館の本棚に立原道造があったので、押し花の淡い色合いに惹かれて借りてきた。高校生のころに読んだ「魚の話」「食後」はなかったが、お風呂で「のちのおもひに」のページをずっと眺めていたら、もうなにもいらない。八月にぴったりの「麦藁帽子」もすごくいい。

麦藁帽子

八月の金と緑の微風のなかで
眼に沁みる爽やかな麦藁帽子は
黄いろな 淡い 花々のやうだ
甘いにほひと光とに満ちて
それらの花が 咲きそろふとき
蝶よりも 小鳥らよりも
もつと優しい愛の心が挨拶する

わたしも黄いろな淡い花のひとつになりたくなって、先ごろ上野の駅で麦藁帽子を買った。帽子はセール品で三割引だったけれど、どうか優しい愛の心は割引になりませんように。