まみ めも

つむじまがりといわれます

玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ

小学生は夏休み。ふみちゃんのお弁当がはじまった。お弁当のおかずに竹輪の穴にきゅうりを詰めているときにはなぜか「わたしもとうとうヤキがまわったな」という気持ちがつきまとう。卵がすきなふみちゃんのために、玉子焼き、オムレツ、ゆで卵といろんなラインナップをローテでいく。

雨、蜘蛛は乾いたままの橋の裏側をゆっくり渡っていった

最注目の新世代歌人ふたりが、男子高校生ふたりの7日間を短歌217首で描く。舞城王太郎によるスピンオフ小説2篇を掲載した特別付録冊子付き。

七月頭の七日間、鞄の中にいれて行ったり戻ったりしながらいっしょに過ごす。若い生のまばゆさの裏にある濃厚な死のにおいを夏の空気のなかに嗅ぐ。

仮面の告白

 

吹き降りの雨が続いた次の朝、庭に百日紅の鮮やかなピンク色が落ちていた。百日紅が咲く現場を押さえたいと毎年思うのに、今年も逃してしまった。統計史上もっとも短いの梅雨だったはずなのに、梅雨前線が復活して戻り梅雨なんて言い出したり、梅雨の思わせぶりに振り回されている。雨の帰り道で、水たまりを見つけたげんちゃんが、振り向いて、いい?と聞いてくる。いいよ、と答えると、水たまりにとびこんで、ばしゃばしゃ好きなだけ水をはねとばす。靴や長靴の中、ズボンまでぐしょ濡れにして、ぬれちゃった、と言いながら本人はとても満足げにしている。もったいなくてカメラを向けて動画を撮った。

エフ本。

「私は無益で精巧な一個の逆説だ。この小説はその生理学的証明である」と作者・三島由紀夫は言っている。女性に対して不能であることを発見した青年は、幼年時代からの自分の姿を丹念に追求し、“否定に呪われたナルシシズム"を読者の前にさらけだす。三島由紀夫の文学的出発をなすばかりでなく、その後の生涯と、作家活動のすべてを予見し包含した、戦後日本文学の代表的名作。

二十年ぶりくらいに読み返す。内容はまったく覚えていないけれど、一度めの梅雨明けの猛暑で、うってつけの文章に出会う。

初夏の一日、それは夏の仕立見本のような一日であり、いわばまた、夏の舞台稽古のような一日だった。本当の夏が来るときに万遺漏ないように、夏の先駆が一日だけ、人々の衣装箪笥を調べに来るのだった。その検査がとおったしるしに、人々はその日だけ夏のシャツを着て出るのである。

夏のシャツはやっぱりリネンが好きだな。

GOTH

週末に初蝉。ふみちゃんが、7月7日で7歳になったので、お祝いをする。朝はみんなでロイホにモーニングにいった。パンケーキが大好きなげんちゃん、油断したすきにメープルシロップをくいっと飲んでしまった。ふみちゃんは大好きなたまごのプレート。夕飯の献立はやきとりと卵を7個つかった玉子焼き。ケーキにも7をみっつというので、777とアポロを並べた。いちごのない季節のケーキにはアポロのいちご。スロット好きのケーキみたいだ。

エフ本。

森野夜が拾った一冊の手帳。そこには女性がさらわれ、山奥で切り刻まれていく過程が克明に記されていた。これは、最近騒がれている連続殺人犯の日記ではないのか。もしも本物だとすれば、最新の犠牲者はまだ警察に発見されぬまま、犯行現場に立ちすくんでいるはずだ。「彼女に会いにいかない?」と森野は「僕」を誘う…。人間の残酷な面を覗きたがる悪趣味な若者たち―“GOTH”を描き第三回本格ミステリ大賞に輝いた、乙一の跳躍点というべき作品。「夜」に焦点をあわせた短編三作を収録。

暗黒系 p5-47

犬 p49-122

記憶 p123-184

後味の悪さが夏の蒸し暑さに妙に合う。

ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。

梅雨明けの猛暑の日曜日、サッカーにいくふたりを送り出したあとで、ふくちゃんとふみちゃんとげんちゃんを三人連れて、ロイホでモーニング。目玉焼きがふたつのプレート、パンケーキのプレートをそれぞれ頼んでおそ朝。げんちゃんがお店の中で出し抜けに「ままがいちばんかわいいよ!!」と叫んで周りの視線が集まってしまっていたたまれない思いも味わう。ふくちゃんはドリンクバーでカルピスとメロンソーダとコーラを混ぜてどどめ色の汁をつくり、思いのほかまずくないのをよろこんでいるのかいないのか。ロイホっぽい皿がほしいと思いながら何年かたち、店にくるたびに食べ終えた皿をひっくり返してみるのだけれど、ロイホの皿には裏印がなくデザイン以上の情報がまったくない。そこもしびれる。

ト。

家族、仕事、お金、生と死。選ぶことから人生は始まる。写真家で猟師の著者が、34歳の時に治らないがんの告知を受けたことで起きた家族の変化、がん患者や関係者たちへの取材を通して見えてきたもの、安楽死について綴る。

幡野広志の一人称は、ぼく。がんこにぼくであり続ける人だ。

あかんべえ

先週の土曜日は夏が本気を出した初日のような天気で、急にサッカーの予定がなくなってしまったこどもたちを誘って浦和宿古本いちへいった。

羆嵐 吉村昭

まだまだ酔ってません 大竹聡

悪魔のいる天国 星新一

百 色川武大

土と草と風の絵本 田島征三

もの食う話 文藝春秋

全部均一の110円。あまりに暑いのでミスドにいき、氷コーヒーとジュースとドーナツでひと休み。

エフ本。

江戸・深川の料理屋「ふね屋」では、店の船出を飾る宴も終ろうとしていた。主人の太一郎が胸を撫で下ろした矢先、突然、抜き身の刀が暴れ出し、座敷を滅茶苦茶にしてしまう。亡者の姿は誰にも見えなかった。しかし、ふね屋の十二歳の娘おりんにとっては、高熱を発して彼岸に渡りかけて以来、亡者は身近な存在だった―。この屋敷には一体、どんな悪しき因縁がからみついているのだろうか。

宮部みゆき、時代もののファンタジーまでやってのけるストーリーテラー

交通誘導員ヨレヨレ日記

七月を迎える前に梅雨明け。朝、みみずがたくさん道路でのたくって行き倒れている。死屍累々を踏み越えて仕事へ。

小学生のとき、みみずは七つに切るまで死なない、七つ以上に切ると死ぬという噂がまことしやかに囁かれていて、草刈りのかまで校庭のみみずを切っていた。たしかに切断されたみみずはぴくぴくする。あれはなんだったんだろうといまさらになって調べたら、一般的なみみずを半分に切ると、前から後ろには再生するけれど、後ろから前には再生しない。しかしヤマトヒメミミズは10に切断しても再生する。ヤマトヒメミミズの発見は1993年なので、小学生のときの噂は都市伝説だったことが三十年を経てわかった。庄野潤三ならここでやれやれって言うかも。

交通誘導員ヨレヨレ日記

ト。

「誰でもなれる」「最底辺の職業」と警備員自身が自嘲する交通誘導員の実態とは? 73歳を迎える現在も交通誘導員として日々現場に立つ著者が自身の経験を基に、その悲哀と笑いを日記形式で描きだす。

やれやれだらけのヨレヨレ日記。

大衆食堂に行こう

夏至の帰り道でゲリラ豪雨に降られた。あじさいもくちなしも花が端っこから茶色くなっている。もう少ししたらさるすべりだけがいつまでも鮮やかな夏がくる。

ト。

安くて、うまくて、人情があり、物語もある…。「大衆食堂」は、いつだって僕らの味方だ! 定食屋から、チェーン店、立ち食いそば屋まで、外食の楽しみを探求し、笑いと共に書き連ねたエッセイ集。

1章 ニッポンの昼食
午後の定食屋/“正午の月給取”/ホット一息昼休み/午後一時五分前のエレベーター/セットメニューの騒ぎ/食味評論

2章 偏愛メニュー
わが愛するレバーよ/天丼屋のオバチャンは……/懐かしやスパゲティ・ナポリタン/ヨシギュウ一年ぶり/カツカレーの誘惑/幸せの黄色い親子丼/レストランのイモコロッケ/「カツ牛カレー丼」はあるか?/かき揚げ丼の後悔症候群

対談 正しい定食屋のあり方 東海林さだお×今 柊二

3章 食べ方の流儀
人それぞれの儀式/その人の流儀/その人の流儀 そのⅡ/フロイトが食べる

4章 麺類について
うどん屋の地獄/普通のラーメン/午後二時のラーメン屋/いまが旬、冷やし中華/チクワ天そば騒動記

5章 食堂で思い出づくり
そうだ、京都、定食屋!/回転定食誕生す/いまどきの社員食堂/いま、学食は?/新宿西口飲食街の夕食/わが青春の大久保

今柊二よろしく大衆食堂でぬたを頼む根暗さを東海林さだおに許されたい。「大衆食堂へ行こう」という安西水丸の本もあるらしくそちらも読まなくちゃ。